ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2015/8/6/noah-freeman/

バイリンガル学生の組織を立ち上げたノア・フリーマンさん

日米を往復した子供時代

ノア・フリーマンさん

「自分自身を日系アメリカ人だと思ったことはありません。日本人であり、同時にアメリカ人だととらえています」と語るのは、現在UCリバーサイド校に通うノア・フリーマンさん(19)だ。

1995年、語学留学でコロラドに滞在していた日本人の母親と、当時学生だったアメリカ人の父親との間にノアさんは生まれた。しかし、父親が大学を卒業してから合流することにして、まだ赤ん坊だったノアさんを連れて母親は郷里の神奈川県大和市にいったん引き揚げた。そして、祖父母の家で幼稚園卒園まで暮らした後に、ノアさんは母親と再び渡米、コロラドの父親と生活するようになった。

「引っ込み思案という性格もあり、まずは言葉の壁もあって、まったく現地に溶け込めませんでした。1年生の時にクラスの中で絵日記を描くというお題が出た時も、先生が言っていることが理解できなかったので、日本のアニメのクレヨンしんちゃんの絵を描き、文章は何も書かずに提出しました。そうしたら、先生にひどく叱られました」

いつか日本に戻りたいとノアさんは夢に見ながらも、2年生の終わりにコロラドからカリフォルニアのトーランスに移った。そして、次第にアメリカの生活に馴染んでいった。「コロラドは白人社会でしたが、トーランスには日系をはじめとしてアジア系が多かったことも馴染みやすかった理由です」

そこにも安住することはなく、父親が陸軍の仕事に就いたことで赴任地の座間へと家族で引っ越すことになった。ノアさんが7年生の時のことだ。

「日本に戻れて嬉しかったけれど、基地の中は特殊な環境でもありました。基地内の学校の生徒たちは卒業後に入隊を選択肢に考えている人が少なからずいて、そういう話を聞くことは僕にとって新鮮でもあり興味深かったです。入隊すれば大学の学費を国に負担してもらえるし、何より3年ごとに赴任地が変わる。そうすればヨーロッパやアメリカ各地などまるで世界を旅するような経験ができるのではないか、と僕自身の将来についても想像するようにもなりました」

しかし、11年生になる時、父が再びカリフォルニアに転勤になったため、一家でまたアメリカに戻ってきた。そして、トーランスの高校を卒業後、UCリバーサイド校に進学した。


多重人格?

日本とアメリカ両方で暮らしたノアさんは、今、自分のアイデンティティーをどうとらえているのだろうか?日系だと思ったことはないという彼の言葉は冒頭で紹介した。

「実は、自分のことを多重人格ではないか、と思うことが時々あります。英語を話している時はすごく表現も直接的になります。しかし、日本語を話している時はそうはいきません。遠慮もするし、いわゆる“日本的な”性格になります」

そして、大学生活も3年目に差し掛かる今、彼には学業以外に熱心に取り組んでいることが2つある。その1つは和太鼓だ。

「大学に入った頃、軽い好奇心で和太鼓のグループに参加しました。各地で演奏する機会を重ねるうち、人々をエンターテインすることに喜びを感じるようになりました。できれば、将来的にロサンゼルスにある和太鼓の組織同士がコラボできる機会をつくりたいと思っています」

そして、もう1つは日英バイリンガルの学生を対象に組織するグループの活動だ。日本語から英語、英語から日本語への通訳や翻訳のサービスをクライアントに提供し、社会に出る前に実践の経験を積みたいと願い、プレシディオ(presidio、スペイン語で「務める」の意味)という団体を創設した。ノアさん個人では既に翻訳の仕事を始めているが、その経験を個人に留めず、メンバーを募って就労の機会をシェアしたいと考えている。

「これから積極的に人を集めて、企業側にもマーケティングを行っていく計画です。まだ人が集まっていないのに気が早いかもしれませんが、自分が創設者となり、バイリンガルとしてのスキルとリーダーシップを持った人材を集めることで、その後、自分が社会に出て身を引いても、組織自体は存続するようにしたいのです」


日本の祖母に感謝

ノアさんは2016年の1月から、UCリバーサイドから南カリフォルニア大学への編入が決定している。「これは日本の祖母のすすめでした。とても教育熱心な祖母で、1年の時にアメリカに引っ越した後もずっと公文式のドリルを僕に送ってくれていました。あの時はまさに“親の心、子知らず”で、ドリルで勉強することもあまりなかったのですが、今は、祖母の愛情に心から感謝しています。編入も、自分では考えていなかったところ、祖母に“編入のチャンスがあるなら、願書だけでも南カリフォルニア大学に送ってみなさい”と強く言われたことがきっかけなのです。物心両面で僕を支えてくれた日本の祖父母には感謝してもしきれません」

大学卒業後は公認会計士になるのがノアさんの夢だ。「日本語と英語を活かして、日米を橋渡しするようなCPAになりたいです」と抱負を語る。

最後に国際結婚家庭、もしくはアメリカ在住の日本人家庭などに育ち、日本語と英語を両方習得する環境にありながら、日本語はあきらめてしまう二世が少なくないことに対してどう思うか、聞いてみた。

「他人にどうこう言うことではないし、現地校で勉強するだけでも大変なことだから、英語だけになってしまうのは仕方ないことだと思います。それでも、すぐに言葉をあきらめてしまうのはもったいないし、後悔することになるのではないだろうか、という気はします」

少なくとも彼自身は、どちらの言葉もあきらめることなく、しかも将来の仕事に日米のアイデンティティーと日英両語を活かそうとしている。そのための布石ともなるプレシディオの活動の成功を願わずにはいられない。

 

© 2015 Keiko Fukuda

バイリンガル ドラム ハパ アイデンティティ 多人種からなる人々 太鼓
執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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