ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2009/5/9/san-juan-fujinkai/

サンフアン移住地の婦人会活動

「今日は200人、お年寄りだからやわらかくて食べやすいものをね。」

サンフアン連合婦人会お得意の料理接待。移住地で行われる成人式や敬老会など、日ボ協会が主催する行事の彩をそえる婦人たち。公民館には生け花が飾られ、祝賀会では日本舞踊が披露されます。

ボリビアは海のない内陸国。お料理の元になるのは野のものと川魚。サンフアンで売られている野菜は国内の高冷地から入るジャガイモなどの根菜やレタ ス、キャベツなど、年間を通して手に入る野菜ですが、それはいつも決まった野菜。それらに手作り野菜が加えられ、婦人たちの手にかかると日本的な趣向を凝 らしたお料理が作られます。

サンフアン日本人移住地は、南米ボリビア国サンタクルス県にあり標高270m、一年を通して暖かい亜熱帯気候に位置します。移住地内には3世までが 混在し、全体の日系人口はおよそ750人。2005年に入植50周年を迎えたサンフアンですが、婦人会活動の歴史は今年で40年を迎えます。

サンフアン連合青年会の発足に遅れること10年、それまで各地域で活動していた婦人会活動は1969年に連合体を結成し「サンフアン連合婦人会」が設立されました。

婦人会の連合体結成が遅れた理由には、移住地なりの特殊性が潜んでいます。移住地内の道路が道らしくなったのは「振興対策」による道路補修工事が終 わる1960年代末。それまでは交通量も少なく、婦人たちの行動は限られており、焼畑農法を進めていくため多くの人夫を抱え、朝昼夜の食事を供するために 婦人が長時間家を空けることが許されなかった時代でもありました。青年たちは暗いランプのともし火を頼りに夜の会合もできたものの、婦人たちにはそれが許 されなかったのはいうまでもありません。これらの理由で婦人の活動が限定されたのは開拓初期のやむをえない事情としかいえません。

さて、その婦人たちの活動は奉仕的要素が濃いことが特徴です。婦人会をたとえる言葉に「縁の下の力持ち」があります。表舞台には立たないけれど、裏 でしっかりとサポートし、行事をつかさどっている様を言い表しています。それは、自分たちの移住地のみならず、外の社会にも向けられていました。

まだ移住地として成り立ちが難しかった1980年代前半、婦人会はサンタクルスの慈善施設に農産物や衣服の寄付をし、その奇特な行為は地元の新聞に も取り上げられ、日系移住者の栄誉に、大使館からの感謝状が授与されました。この慈善事業は現在も続けられており、対象となるのは同じ市内の診療所や幼稚 園、運営が厳しい施設に対してささやかな援助を行っています。

サンフアン日ボ協会でも、1995年の入植40周年祭典時にこれまでの婦人の内助の功を讃えて、新設の文化交流会館中庭に母子像を建立しています。

婦人たちの活動は、常に社会と家庭に目が注がれ、生活改善を心がけ、機関紙よろしく小冊子を発行しており、そこには、日々の思いをつづったエッセイ や、生活の知恵、短歌などで話題を提供しています。その小冊子の名前は「トボロッチ」。どっしりとした幹にとげをつけ、樹木のように空に広がりピンクの花 をつける。特徴はこの幹が根元に向かってつぼ状に太くなり、それは妊婦を連想する形をしている木。花が散ると緑の葉を茂らせ、人々の憩いの場を提供する。 ボリビアの亜熱帯地方の公園では、必ず公園の周囲に植えられている。どこにでも当たり前にあって人々に休息を与え、時にはそのとげで外敵から身を守る。そ の姿がサンフアンの婦人たちにたとえられていたのでしょう。

時代がかわり、1990年代後半になると生活基盤も確固たるものになり、婦人会活動も広がりを見せてきました。そのひとつにパラグアイ日本人移住地 視察旅行があります。婦人が家庭から解放されつつあっても、まだ封建的な色濃い移住地では「遊ぶものには協力しない」などの批判もあった中、それでも思い 切って出かけて、今もなお婦人同士の交流が続いているとのこと。

もし、婦人会活動がなかったら? 日系人と日系移住地の存続は危ぶまれたでしょう。そして日本料理はもちろん、いけばなや日本舞踊などの文化も受け継がれなかったでしょう。記録にこそ出てこない婦人会ですが、その活動は水がしみこむように移住地に浸透しています。

40年を経た婦人会活動。移住地も一世から二世の時代へ、三世が成人式を迎えるようになり、様相も変化しつつあります。ボリビア人女性と結婚する二世に伴い、婦人会に入会するボリビア人女性も増えつつあります。

入会した彼女らは、日本語ばかりが話されていることや日本人ばかりの集まりに戸惑いと疎外感を感じていたようですが、最近はボリビア婦人の人数も増 え、スペイン語を話す二世会員も増えていることから、わだかまりもなくなりつつあります。彼女たちにとっては日本的な習慣や日本料理を覚える場であるた め、積極的な参加が見られます。

反面、異なる習慣を持つ彼女らと見解の違いもあり、今までの日系婦人だけの会合のあり方を改めざるを得ないときにきています。

勤勉でまじめな日系婦人とおおらかで柔軟なボリビア婦人。時には意見や価値観の違いもありますが、双方の長所を活かした婦人会活動が行われることは、まさに日本・ボリビアの融和を図る一助になり、移住地進展の礎となることでしょう。

*本稿は、ボリビア日系協会連合会(ディスカバー・ニッケイの協賛団体)が協賛団体の活動のひとつとして、当サイトへ寄稿したものです。

© 2009 Kimie Bani

執筆者について

1995年、ボリビア・サンフアン移住地に縁あって入植。 サンフアン日ボ協会勤務、サンフアン移民史料整理に着手する。

(2008年10月 更新)

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