花の心は万国共通-柴 洋花さん

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福田 恵子

2008年8月15日(金)

花に慰められ、和まされる: 花を通じて出会いが生まれる

池坊の歴史は生け花の歴史に等しい。「生け花の根源」と称し、5百年以上の伝統を持つ池坊。現家元の池坊専永氏で実に45代目を数える。池坊は日本家屋の床の間に生ける花から発展し、現在では立花、生花、自由花の3つの様式から成る。

池坊ロスアンゼルス支部福支部長である柴洋花さんが入門したきっかけは、綾花会というグループを主宰していた養母の影響によるものだった。柴さんは、留学生として渡米後、親戚夫婦の家に養女として迎えられていた。

「私自身も結婚して、子供たちを育てながら、アメリカの父と母が経営するグロッサリーストアの手伝いをしていました。そんな忙しい時に、母に厳しく(池坊を)指導されましたが、実はその頃はあまり積極的な弟子ではありませんでした」

そんな柴さんが深く生け花に関わるようになるのは、1970年頃、母親が病に倒れ、自らが綾花会を牽引する立場になった時だと振り返る。1983年には会の30周年イベントを、日本から家元を招聘して盛大に開催した。

「生け花をやっていて良かったと心から思えるのは、花自身に私が慰められ、和まされるということ。そして花を通じて多くの出会いが生まれたことです」

一番長いお弟子さんは、母親の時代から続いている人で90歳になると言う。柴さんは長らく小東京の寺で教えた後、会場を変え、お弟子さんたちが住むシニア向けのコンドミニアムに、今では月に2回、出張している。さらに自宅でも毎週クラスを開講している。

1本1本の命を大切にする: 1輪からでも元気が伝わる

これまでアメリカ人にも教えてきた柴さんに「花の心は万国共通で通じるのか」と質問してみた。

「長い間、じっくりと取り組まれると、日本人でなくても、花の心は通じるようになります。アメリカのフラワーアレンジメントはまったくの別物です。 日本の生け花、特に池坊は、花1本1本の命を大事にします。お庭に咲いている花を1本取ってきて、台所の一輪挿しに差す。それだけでも見る者には元気とな る花の精気が伝わってくるものです。嫌なことがあっても花を見ていると忘れさせてくれます。花の命は短いからこそ、その生命力は強いのです。その心は、生 徒さんたちにも確実に通じております」

柴さんは、アメリカだけでなく生け花に関する、国際的な体験を披露してくれた。娘が教師として勤務している、外交官の子弟のためのインドのニューデリーの学校での話である。

「娘が教える学校で、小学生を相手にデモンストレーションをしました。子供たちは既に『IKEBANA』という言葉を知っていました。京都に留学経 験のある娘はその時期に池坊の外国部に入門していたこともありますので、彼女が専門用語を交えて通訳してくれました。探し回った揚げ句に安い花市場も見つ けましたが、校長先生には、校庭にある花や木を何でも切って使っていいと言っていただきました。生け花はここまで世界に浸透しているのだと感慨深かったで す。しかも、その時は知らなかったのですが、池坊のインド支部もあるようです」

庭に出るのが毎日の日課: 自分の手で花々を育てる

インドでも生け花の材料探しに苦労した柴さんだが、アメリカでも同様だ。日本の伝統的な生け花の手法である池坊の材料は、アメリカの花市場だけでは 揃わない。庭を駆使して、花や樹木を自分で育てる必要がある。アナハイムにある柴さんの自宅の庭にも、色とりどりの季節の花が植えられている。「私の日課 は、まず庭に出ることから始まります。水を撒いて、枯れた花や葉を取ります。枯れた部分があると、元気な花の生気も吸い取られてしまうのです。枯れた花た ちには『ごめんなさいね。枯れちゃっているので』と、話しかけるようにしています」

そのようにして、庭で丹精込めて育てられた花たちは、前述のように柴さんの家のダイニングテーブルの上に、リビングの棚の上に、キッチンに、浴室に と、至る所に可憐に生けられている。その花たちには、華やかにアレンジされているというよりも、「花が花として、自然にそこにある」という表現がふさわし い。

初めは半ば強制的に引きずり込まれた生け花の世界だが、柴さんは今では母親に感謝していると話す。特に6年前、夫を亡くした時の寂しさは、花が癒し てくれた。花には命があり、その精気に触れることこそが若さの秘訣なのだそうだ。その言葉通り、エネルギッシュに生け花に取り組み続けている柴さんに、 20歳の孫がいるとは思えない。

これからも日系社会を中心に、生け花を通じて積極的に貢献していきたいと意欲を語る柴さん。地元カリフォルニアに留まらず、遠くはインドまで国境を越えて「花の心」を広く伝え続けてほしい。

プロフィール:1954年留学生として日本より渡米。アメリカの養母のすすめで池坊に入門。1986年より教授、2001年よりロスアンゼルス支部の副支 部長を務める。静岡県人会、南加婦人会、オレンジ郡日系協会などのコミュニティー活動にも積極的に携わる。趣味はカラオケ。アナハイム在住。

© 2008 Keiko Fukuda

 

福田 恵子 (ふくだ・けいこ)

Keiko Fukuda was born in Oita, Japan. After graduating from International Christian University, she worked for a publishing company. Fukuda moved to the United States in 1992 where she became the chief editor of a Japanese community magazine. In 2003, Fukuda started working as a freelance writer. She currently writes articles for both Japanese and U.S. magazines with a focus on interviews. Fukuda is the co-author of Nihon ni umarete (“Born in Japan”) published by Hankyu Communications.

Updated February 2008

 
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