ディスカバー・ニッケイ

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運の強い男(スペイン語)

(スペイン語)我々がまだ学生だった頃、愛知県に行きました。名古屋から60キロぐらい離れた郊外で、そこは沼で何もできないようなところでしたが、飛行機製造工場が建設されたのです。みんなそこで働くことになり、私もそこにいたのです。ある日大きな地震が発生し、土地が緩いこともありまして、私を含めて4人以外はみんな亡くなったのです(三河地震のようで)。大変悲しい出来事でしたが、私は運がよかったのです。それ以来生き延びてきました。 戦後には、「おまえはアルゼンチンへ行け」と言われ、そうしたのですが、横浜港から発った船が一週間後サンフランシスコに到着しました。そして、そこでもまた大きな地震があり、多くの人が亡くなりました。私の親せきも多数亡くなりました。でも、私は幸運にも助かったのです。その前には福井でも(地震に)あったのですが、そのときも私は助かったのです。 時々思うのです。こうしたことを口に出そうと思ったりするのですが、「黙れ!一度は死んだ人間でまだ生きているんだ、生かしてもらっているんだ」と自分に言い聞かせているのです。そうしますと、自分がいかに幸運であったことを嬉しく思うのです。


地震 移住 (immigration)

日付: 2006年9月18日

場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス

インタビュアー: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ

提供: アルゼンチン日系センター

語り手のプロフィール

ルイス・ヤマダ氏は、1929年、福井出身の移民の両親のもと、ブエノスアイレスに二世として生まれました。ヤマダ氏は少年期に日本へ渡り、大戦中の日本を生き、戦後アルゼンチンへ戻りました。戦前、戦中、戦後の日本を体験しました。今日、ヤマダ氏は、アルゼンチン国内で最も権威ある組織の1つ、全アルゼンチン風景画学会(Instituto Argentino de Paisajismo)の代表を務めています。(2006年9月18日)

Doris Moromisato
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ドリス・モロミサト

移民の苦労神話(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

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Kazumu Naganuma
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カズム・ナガヌマ

月に一度入国管理局にチェックインする

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

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