ディスカバー・ニッケイ

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アメリカへ帰国後の帰米の扱い(英語)

(英語)(クラスメートは帰米の私に)多少好奇心があったようで「これは日本語で何て言うんだ?」と問いかけてきたりしました。とても友好的でした。余り友好的でない人たちは私に近寄ってこないだけで、直接侮辱されたことはありません。でも他の帰米の何人かは嫌な経験をしたのではないか思います。多少見下されたりして。ほら、(帰米の生徒のほうが)より高いレベルの教育を受けていたとしても、授業は英語ではなく日本語で行うので、たとえ知識のレベルは上でも、帰米は差別されたのです。


差別 世代 対人関係 日系アメリカ人 帰米 二世

日付: 2003年12月17・18日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ、トム・イケダ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ヒロシ・マツモト氏(通称ロイ)は1913年5月1日にカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のラグナで生まれました。彼の家族は広島県出身で、子供の頃は祖父母とともに日本で暮らし、日本の小学校・中学校に通いました。

アメリカへ帰国後、彼はロングビーチ・ポリテクニック高校へ通うかたわら、さまざまな職を経験しました。第2次世界大戦中はサンタ・アニタ集合センターへ収容され、その後アーカンソー州のジェローム強制収容所へ送られました。ジェロームで6ヶ月間過ごした後、陸軍情報部(MIS)へ志願しました。

松本氏はキャンプサベージで行われた最初のMISのクラスへ参加しました。メリル襲撃隊*(Merrill's Marauders )のメンバーとしての功績は称えられ、後に米国勤功賞(Legion of Merit)を受賞、さらにはRanger Hall of Fame(奇襲部隊)の殿堂入りを果たしました。(2003年12月18日)

*メリル襲撃隊はフランク・D・メリル陸軍大佐率いる第5307混成部隊

パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

ミア・ヤマモト

人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士