ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1376/

日本での玻満子との出会い(英語)

(英語)僕は路面電車で鎌倉に行き、そのエリアを少し見て回りました。そして再び電車に乗ろうと戻りましたが、電車は来ませんでした。大勢の日本人と米兵が数人、電車を待っていました。妻の玻満子(はまこ)は目の手術を受けた直後で、ちょうど家に帰るところでした。目に何か問題があったようです。眼帯を付けていて、なんだか変な見た目でした。でも僕は、自分の日本語をどうしても使いたくて、とにかく彼女に話しかけてみることにしました。最初、彼女はかなりつんとした態度で、良家の日本のお嬢様という感じでした。実際彼女は、本当に家柄の良い家庭の出でしたが、僕が日本語を話せるので興味を持ってくれたようでした。


軍隊 (armed forces) 軍隊 退役軍人 (retired military personnel) アメリカ陸軍 退役軍人 第二次世界大戦

日付: 2012年1月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ハリー・シュナイダー氏(1916年生まれ)は、東京に駐在したアメリカ陸軍情報部隊員でした。ハリーは日系人ではありませんでしたが、事務処理能力の高さを買われ、サンフランシスコの陸軍情報部 (M.I.S.) 研修プログラムに採用されました。その後ハリーは二世兵士と共に日本語を学習することに関心を持つようになりました。第二次世界大戦直後の1948年、ハリーは妻の玻満子(はまこ)と結婚しました。第二次世界大戦終結時、アジアの「戦争花嫁」が米国へ入国するには、特別立法の制定が必要でした。1950年、ハリーと玻満子は米国に入国するため、東京の日本領事館で再び結婚し、2人は米国に渡った最初の夫婦の一組となりました。2013年6月、ハリーは97才で亡くなりました。(2014年6月)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

軍隊でタイピストとして働く

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

軍隊でバスケットボールをする

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士