ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1264/

自由への道 (英語)

(英語) 当時、たくさんのことが起きていたので、それぞれに脈絡を持たせたいという思いがありました。なぜならVC(ビジュアル・コミュニケーション)のみを知っている人は、「ああ、この人たちは全く異なることを色々やっている」と思うでしょう。しかし、60年代初頭、末期、70年代初頭の状況を知っていて見た場合は、すべてが文化を変える政治的性質を持った運動であることがわかるはずです。50年代や60年代を体験したら、心に重荷をたくさん背負うことでしょう。私たちは誰なのか、アジア系アメリカ人とは、いわゆる東洋人とは何なのか、というような。それが初期のVCの特徴だと思います。

VCは何が違うのかというと、まず私たちは映画学校にいたわけではないということ。そして、メディアをアートや自己表現のためや、視覚的な表現法を試みるために学んでいたわけではないということです。出発点はそうではなく、過去を取り上げ、再現するという考えから始まったものです。

そして、これはとても重要なのですが、見る人たちは同じコミュニティの人たちでした。アートのためではなく、自己表現のためでもなければ、多数派社会の固定観念を破ろうとしていたわけでもありません。私たちは、私たち自身の固定観念を破りたかったのです。


アジア系アメリカ人運動 コミュニティ アイデンティティ ビジュアルコミュニケーションズ(団体)

日付: 2011年8月16日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アレクサ・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1936年7月5日、カリフォルニア州ベニスで一世の父と二世の母との間に生まれる。ロバート・アキラ・ナカムラ氏は、フォト・ジャーナリズムと広告写真の分野で成功を収め、映画で日系アメリカ人の真実を探求し、表現、提供する第一人者となった。革新的なセルフドキュメンタリー『Manzanar(マンザナー)』(1972)は、サンフランシスコ美術館やフィルム・フォーラム、ロサンゼルス現代美術館において、ドキュメンタリーのメインの回顧展で紹介された。

1966年にアート・センター・カレッジ・オブ・デザインで美術学科学士号を、1975年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の映画・テレビ制作学部を卒業し美術学修士号を取得。UCLAでは、最近まで教授をしていた。ナカムラ氏は、その記憶を刺激する革新的な映画で25以上もの賞を獲得。受賞作には、『Wataridori: Birds of Passage(渡り鳥)』(1975)、『Hito Hata: Raise the Banner(一旗)』(1980)、『Moving Memories(ムービング・メモリーズ)』(1992)、『Something Strong Within(サムシング・ストロング・ウィズイン)』(1994)、『Looking Like the Enemy(ルッキング・ライク・ザ・エネミー)』(1995)などがある。

1970年にビジュアル・コミュニケーションズ(VC)を設立し、現在も取締役会メンバーを務めている。さらに、1996年にはUCLAにセンター・フォー・エスノコミュニケーションズ学科を、1997年には全米日系人博物館のメディア美術センターを設立した。

ナカムラ氏は、スティーブ・タツカワ記念賞の最初の受賞者だ。同賞は1985年から、アジア系アメリカ人メディアにおいて顕著な功績を残し、リーダーシップを発揮した者に年次で贈られている。さらに、1994年にはアジア系アメリカ人連合の映画部門とUCLAの映画・テレビ学部が、アジア系アメリカ人ビジュアルアーティストの突出した貢献を称える「ロバート・A・ナカムラ賞」を設立。1997年には、スミソニアン協会がナカムラ氏の作品の回顧展を開き、1999年には同氏はUCLAの日系アメリカ人の研究における寄付基金教授に任命された。(2012年8月)

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(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

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