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第1回 ツールレークから広島へ -安孫子洋さん-
今年は終戦から65年。戦争の記憶は年々風化の一途をたどるが、第二次大戦中に「敵性外国人」として強制収容所での生活を余儀なくされた日系アメリカ人や、まさにその強制収容所から兵役に志願した日系二世にとっ…
Yukikazu Nagashima • Oct. 14, 2010
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ある被爆者の挑戦 -ポール・エンセキさん-
在米の被爆者について、すでにいろいろなことが書かれてきました。さまざまな本も出版されており、もうほとんど語り尽くされたような感じもするのですが、先日、米国広島・長崎原爆被爆者協会の据石和さんから、あ…
Yukikazu Nagashima • Aug. 5, 2010
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第6回 1930年代における広島市内の日系二世の分布と一世との関係
はじめに本報告では、従来、利用されることの無かったと思われる『広島県滞在米布出生者名簿』(広島県海外協会、1932年、以下『出生者名簿』)を用いて、広島市内に在住する日系二世の分布の特徴を明らかにし…
Kojiro Iida • May 4, 2010
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スティーブン・オカザキ~太平洋の真ん中に立つ映画監督-その2
>>その1 『ヒロシマ ナガサキ』でもう一人強く印象に残ったのは、谷口稜輝(たにぐち・すみてる)さんだった。証言している最中、突然服を脱いで自分の傷ついた体をカメラの前にさらし始める。谷口さんは…
Tatsuya Sudo • Jan. 27, 2010
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スティーブン・オカザキ~太平洋の真ん中に立つ映画監督-その1
日系3世のスティーブン・オカザキ(1952~)にとって「ヒロシマ」とは何なのだろうか。2年前の 2007年、彼はヒロシマの被爆者や原爆投下に関わったアメリカの軍人らにインタビューしたドキュメンタリー…
Tatsuya Sudo • Jan. 20, 2010
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Capítulo 5: Lembranças de Hiroshima
Quando cheguei na estação de trem de Hiroshima, senti-me realizada por estar ali. H&a…
Silvia Lumy Akioka • Sept. 29, 2009
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母国アメリカと戦った日系人たち その3: 兄弟で敵味方に分かれて戦う-阿久根三郎さん-
その2 (大森馨一さん)>>阿久根三郎さんは1926年カリフォルニア州中部の生まれ。7歳の時に、兄弟と共に親の故郷、鹿児島へ渡る。母親が亡くなったので、鹿児島の祖母の 元で暮らすらめだった。9人兄弟…
Keiko Fukuda • April 26, 2008