来日就学生物語 ~マイグレーション研究会メンバーによる移民研究~

関西居住の学徒が移民・移住に関わる諸問題を互いに協力しあって調査・研究しようとの目的で。2005年に結成された「マイグレーション研究会」。研究会メンバー有志による、「1930年代における来日留学生の体験:北米および東アジア出身留学生の比較から」をテーマとする共同研究の一端を、全9回にわたり紹介するコラムです。

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第9回 ある台湾人女性の日本留学体験 -許秋槎のライフヒストリー-

はじめに  

1920年代から30年代にかけて、日本の統治下であった台湾から多くの若者が日本本土に留学した。いわゆる内地留学である。専門分野は多岐にわたっているが、特に実業と医学関係が多かった。1930年代後半以降には、男子だけではなく女子の留学生も増加する。女子を含む台湾人の日本留学の隆盛の背景には、日本統治下において男女ともに教育水準の向上によって進学熱が高まったものの、台湾での高等教育の限界があったことがあげられる。また、日本統治下で日本の言葉や風習にすでに慣れ親しんでいたこと、植民地という文化的周辺に住む人々の、文化的中心である宗主国へのあこがれが存在していたことも台湾人の日本留学を後押しする要因であったといえる。

本稿では、1930年代後半、日本へ留学したある台湾人女性のライフヒストリーを通して、日本留学体験とその影響について考えてみたい。

1. 来日するまで ―生い立ちから日本留学の経緯― 

許秋槎(きょ・しゅうさ ...

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第8回(後編) 朝鮮人学生の留学と就業―立命館大学の場合―

>>前編

4 朝鮮籍学生の修学と進路

前掲の『全立命館學友會名簿』を利用して、1943(昭和18)年における卒業後の居住地と就業について説明してみよう。まずは、再び回想から考えてみよう(太字は筆者)。

「あの当時に大学に学んでいる人というのはですね、むこうから、本国(朝鮮)から来るんですよ。そして、卒業したら帰っちゃうんです。ほとんどがそうで、ごく少数の人たちがここに残るわけ

これまでは、1930年代の朝鮮籍学生をとりまく知識の還流、もしくは回流をめぐって検討されてきた。ただし ...

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第8回(前編) 朝鮮人学生の留学と就業―立命館大学の場合―

1 はじめに―東・東南アジアからの留学生―

1930年代の日本では、国際的な飛躍を目指す一方で、国際連盟の脱退を筆頭に、国際社会からの孤立が懸念されていた。その対応のひとつとして、政府は近隣諸国から積極的に留学生を受け入れる政策を模索していた。それは、日本の勢力圏であった台湾、朝鮮や満州などの「外地」だけでなく、東南アジアの非勢力圏からの受容もみられた。

朝鮮総督府学務局『在内地朝鮮学生状況調』(1920)、朝鮮教育学奨学部『在内地朝鮮学生調』(1926)や内務省警察局編『社会運動の状況』(1936 ...

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第7回 望郷のハワイ -中島直人と『ハワイ物語』-

おそらく、中島直人という名前を知っている人はほとんどいないだろう。戦前のハワイ生まれの小説家である。この記事では、ぼほぼ無名だがしかしその経歴を調べ作品を読めば抜群に面白い、このマイナー作家を紹介し、その価値を説いてみたい。

1.中島直人とは誰か

まずは経歴から紹介しよう。中島直人は、1904年4月20日、ハワイ、オアフ島ワイパフ(Waipahu)に熊本県からハワイに移民した父母の子として生まれた。いわゆる2世である。パールシティ公立学校へ通う一方、日本語による補習学校ポールシチー本願寺学園に通い、卒業している。彼はその後ホノルルのカイウラニ・スクールへ進んだが、その直後に日本から呼び寄せた兄がハワイに不適応を起こして死去するという出来事が起こる。これを機に一家は父を残して帰国、中島が数えで14歳の時 ...

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第6回 1930年代における広島市内の日系二世の分布と一世との関係

はじめに

本報告では、従来、利用されることの無かったと思われる『広島県滞在米布出生者名簿』(広島県海外協会、1932年、以下『出生者名簿』)を用いて、広島市内に在住する日系二世の分布の特徴を明らかにし、さらに彼らの年齢別・職業別人口構成と学校、さらに親にあたる一世とはどのような関係で市内に居住することになったのかについても考察したい。

1. 広島市内の二世の分布とその特色

ジョン・ステファンによれば、ハワイ日系二世の日本留学は1918年頃に始まり30年代に本格化した。38年当時、日本に4万人の日系人が滞在しており、そのうち1万4000人がハワイ出身者であったという(ステファン,1984,76 ...

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