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ブラジル国、ニッポン村だより

移住地野球の風景

ブラジルといえばサッカー(ブラジルではフチボーラという)だ、という印象を多くの日本人は持っているだろう。ブラジル人は一人の例外もなくサッ カーをやっていると信じられていて、路地裏でぼろぼろになったボールを追いかける子供たちのいる風景が自然と頭に浮かんでくる。もちろん実際のブラジルで は、サッカー以外のスポーツも盛んで、バレーボールやハンドボール人口もそうとうなものだ。

日系人はあまりサッカーをやらないグループのようだ。「サッカーとサンバはジャポネスにはやらせるな」などというひどい言い方まであるそうだが、そ ういえばサッカーボールをける日系人の姿はあまり見かけないように思う。ではいったい日系人に人気の高いスポーツは何なのか?最近でこそだいぶん多様化し ているようだが、今でもやっぱり野球というのは日系人と結びつきの強いスポーツのようだ。

移住地ができた昭和初期は、日本では大学野球が大人気だった。そんな日本から直接移住地にやってきた人たちにとって、野球は魅力的なスポーツだった ろう。問題は、そんな暇があったのか、グラウンドや用具はどうするのか、ということだ。前者についていえば、案外余裕はあったようだ。戦前日本人のところ で働いていたブラジル人の目には、忙しそうなのは女性ばかり、と映ったそうだから、男どもは力をもてあましていたのではないだろうか。グラウンドを整備 し、グラブやバット(といってもこれらはほぼ手作りのようなものだ)をそろえてくれたのは、移住地事務所だった。事務所は主に生活や農業の指導をするのが 仕事だったが、定住を念頭において開発された移住地では、スポーツや文化活動の支援も移住者定住化に向けた方策のひとつとして位置づけられていたのだ。

後には州全域から野球チームがサンパウロに集まって大きな大会が開かれるようになったが、それまでは、移住地内での地区対抗(一時は10チーム以上 あった)、同じ方式で開発された近隣移住地との対抗戦などが盛んに行われた。原野を切り開いたばかりの土地で数々の名勝負が生まれ、名選手が生まれた。

今なら車で2、3時間のところにある移住地に、伝説的な豪速球投手を擁する強豪チームがあった。当時は移動にたっぷり半日はかかったが、そこまで遠 征することもあった。郵便事情もよくない時代(そもそもそのあたりはまだあまり人が住んでいなかった)だから、いついつ練習試合をやるという約束もろくに せずに行ったというから乱暴だ。そんなことだから、その移住地には、ある時野良仕事をしているところに突然藪を割ってユニフォームの一団が現れ、試合を申 し込んできた、などという逸話が残っていたりする。「○○軍の急襲」として語り草になっているのだという。もちろん即座に受けて立ったそうだ。そんな遠方 から来た一団を無碍に返すこともできないだろうが、急襲などと大げさな言葉を使う妙な真剣さと呑気が同居していて楽しいエピソードだ。

逆に豪速球投手のチームがやってくることもあった。迎え撃つ移住地には、そのチームと戦う時だけに歌う応援歌なるものまで用意されていた。当時の日本でいえば、早慶戦並み(とはいっても私もそれを体験しているわけではないが)に盛り上がっていただろう様子が目に浮かぶ。

さて件の豪速球投手は、日本にいれば甲子園にでも行っただろうというほどの逸材で、移住地チームも長らく歯が立たなかった。

「何連敗したかなあ」当時はそうとう悔しい思いをしたに違いないが、今となっては懐かしさしか残っていないようだ。もう70年も前のことを当時野手だったKYさんが愉快げに、でも少し苦笑いしながら細部まで思い出してくれた。

待望の初勝利はこんな風に転がり込んできた。

その日は2試合あった。その第1試合で、豪速球投手が死球を受けた。死球にもいろいろあるが、その死球は顔面直撃のまさに死球だった。試合は続行 し、豪速球を打ち崩せずやっぱり負けを重ねたが、試合が終わるころには豪速球投手の顔は造作が変わるほど腫れあがっていた。そして2試合目。野球にかける 情熱が半端ではない豪速球投手、マウンドに上がったものの、さすがにいつもの投球は無理だったようだ。実は投手ひとりに頼る部分の大きかったかのチーム は、投手を失ったら意外にもろく、初対戦から何試合目かでとうとう勝ちを譲る事になった。

何かにつけて競い合う、あるいは助け合う関係にあった両移住地の野球チームは、その後も長く好敵手として戦い続けた。

戦前の日本人移住地がブラジル野球の発祥の地というわけではないけれども、その後ブラジル野球を育てることになる人材を多数輩出していることは間違いない。かれらの力で、ブラジル日系社会の野球は、日本のプロ野球や高校野球に選手を送り込むほどのレベルになっている。

その原風景に、原野を切り拓いてつくったグラウンドや、手づくりのグラブ、移住地名を胸に縫い付けたユニフォーム姿の選手たち、ライバルとの死闘(?)があったのだ。

© 2007 Shigeo Nakamura

About this series

ブラジルサンパウロ州奥地の小さな町の日系社会。そこに暮らす人びとの生活ぶりや思いを、ブラジル日本人移民の歴史を織り交ぜながら、15回に分けて紹介するコラムです。