インタビュー:ジョニー・モートン

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ジョニー・ジェームス・モートンJr.(ジュニア)は1971年にカリフォルニア州イングルウッドでアフリカ系アメリカ人の父と日系アメリカ人の母のもとに生まれました。彼は、元プロアメリカンフットボールの選手です。

このアルバムでは、2000年2月7日に行われたインタビューからの5つのクリップを紹介します。(略歴を含む)

1. 日本語学校 

2. 日本語のスピーチ

3. 祖母との会話

4. 成長とアイデンティティ

5. 二世リレーへの参加を通して学んだ日系人としての文化

* このインタビューは、ディスカバーニッケイのインタビューセクションへもアップされています。

Slides in this album 

日本語学校

日本語学校には3年間通いました。でもその後、両親は僕を通わせるのをようやく諦めたようです。通い始めた最初の頃はとても大変でしたよ。まだ小さい子供が土曜日の朝7時に起きてクラスに行くのですから。普通の子供であれば、パジャマを着たままシリアルを食べたりテレビで漫画を見たりする時間帯ですからね。僕も最初は仮病を使ってずる休みしようと頑張りましたけど、具合が悪くて学校に行けないなら外遊びもできないはずだ、と両親に言われたんです。そう言われると僕も諦めるしかなくて、学校に行って帰宅してから遊びに出かけていました。

Johnnie Morton interview #1: Attending Japanese school
提供: editor

日本語のスピーチ

僕は、南カリフォルニア大学でコミュニケーションを専攻しましたが、僕が初めてスピーチをしたのは日本語学校に通っていた時です。日本語学校では、実際たくさんの初めての経験をしました。人前でスピーチするのもその時が初めてだったのですごく緊張しました。壇上に上り、お辞儀をしてスピーチを始め、終わった後にもう一度お辞儀をしてから下がる、そんな感じでした。そして閉会式でトロフィーをもらいました。

Johnnie Morton interview #2: Making a speech in Japanese
提供: editor

祖母との会話

僕が小さかった頃、祖母が僕のお守りをしてくれていました。祖母は日本語を話し、僕は英語を話して一日中一緒に居ました。僕も祖母もお互いが何を言っているのかさっぱりわかりませんでしたけど、僕たちはそうやって一日中話をしていました。

Johnnie Morton interview #3: Talking with Grandmother
提供: editor

成長とアイデンティティ

僕が育った環境は、小学校から大学までほとんどが白人かアジア系の人たちで、黒人は僕一人という場合が多かったです。でも、実際誰も僕の人種のことを問題にしませんでしたし、「だから何?」という感じでした。自分だけが違うなどと感じたことはなく、他の子たちと全く同じように受け入れられていました。子供はとても正直だし、考える前に物を言ってしまうところがありますよね。だから大学に入るまで自分の人種についてあまり考えたことが無かったと言うと、驚かれるかもしれません。僕が自分の人種のことを考えるようになったのは、大学に入ってからでした。大学生になった僕は、文法を崩した、いわゆるステレオタイプ的な黒人の話し方をしないことを不思議がられたり、僕の容姿について人に聞かれるようになりました。僕の髪はどちらかというとストレートだったので、そのことを聞かれたりもしました。周りの人たちは、みんな僕が何者か知りたがっていたのだと思います。みんな僕に関心があるんだろうな、と思ったので、そのことを嫌だとは思いませんでした。僕に興味があったのでしょう。大学に入るまでは、自分が他の人と違うことに気づきもしませんでしたが、しばらくして、他の人たちと僕が違って見えることは自分だけの特徴だと思うようになりました。僕は、2つの文化の最も良い部分を受け継いでいると思うし、その二つを融合させることで、僕の人生の質は高められていると考えています。

Johnnie Morton interview #4: Growing up and identity
提供: editor

二世リレーへの参加を通して学んだ日系人としての文化

僕は子どもの頃、土曜日に日本語学校へ通ってたんですけど、初めて二世リレーのことを知ったのはその頃だと思います。最初は何か珍しいことだと思ったんです。というのも、そこには日本人しかいなかったから。僕が現れると、みんなが「この人誰?何で彼がレースにでるの?」って怪しんで見るんです。でも、僕が母と父と一緒にいるところを見て「ああ、なるほど」ってなるんです。リレーは僕が出場した初めての陸上大会だったからとっても楽しかったですね。リレーの参加を通して自分自身すごく成長したと思うし、日系人の文化についても少し学んだし、日系人としての誇りも築きあげることができたと思います。

Johnnie Morton interview #5: Gained appreciation of his multiracial heritage through participation in Nisei Relays
提供: editor

プロフィール: ジョニー・モートン

ジョニー・ジェームス・モートンJr.(ジュニア)は1971年にカリフォルニア州イングルウッドでアフリカ系アメリカ人の父と日系アメリカ人の母のもとに生まれました。子供の頃はガーデナの日本語学校へ3年間通いました。カリフォルニア州のトーランスで育った彼は、南カリフォルニア大学のトロージャンフットボールチームで優れた経歴を残して卒業しました。

ナショナルフットボールリーグ12年のベテランとして、現在はサンフランシスコ・フォーティーナイナーズでワイド・レシーバーとして活躍しています。また、モートン氏はモデルや俳優としても活躍しており、映画『ザ・エージェント(原題:Jerry Maguire)』にも出演しています。(2005年8月10日)

Johnnie Morton
提供: editor

Album Type

Video interview

editor — 更新日 6月 28 2021 1:49 a.m.


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