ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。

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第4回 ガレージパーティ

今やハワイの両親といった存在になっている日系三世のMさんLさん夫妻に出会ったのは、同時多発テロ事件の半月ほど前の2001年8月のことだった。

しばらくして同時多発テロが起きた。翌年まで滞在予定だった私には、飛行機が一時離発着しなくなったことは全く関係がなかったが、旅行者たちは徐々に去り、新たな旅行者たちは来なくなった。ワイキキの灯りは減ってゴーストタウンと化し、太平洋のど真ん中に閉じ込められてしまったような閉塞感が日に日に強まっていった。店が閉じてしまい懐中電灯がないと歩けないようなワイキキなど、今では誰も想像できないだろう。

そんな時にMさんが、「子どもたちのバンドのパフォーマンスをE小学校でやるから来ないか?」と、自身が指導している小学生のウクレレバンドの演奏会に誘ってくれた。奥さんのLさんが勤務している小学校だった。カフェテリアの壇上で奏でられる数々の美しいハワイアンのメロディ、その中でも前奏だけで私を魅了したのが、“Komo mai e hea ke kanaka” という曲である ...

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第3回 「Tシャツ」

アルファベットの“T”が私たちにイメージさせるものといえば、それはやはり「Tシャツ」だろう。ファッション雑誌ではそのまま“T”と表現してさえいる。70代の父はTシャツを着ないし、生きていれば110歳近くになる祖父ももちろん着ることはなかった。彼らが着用しているのは、Tシャツと形は似ているが、丸首が胸の上あたりまで開いている下着としてのアンダーシャツである。

今回話題にするTシャツは、その下の世代あたりから日本でも日常の生活着として使われ、アウターにもインナーにもなる便利なカジュアルウェアとして定着したものと思われる。これほど世界中に広がり、色やデザインが無数にある服もないだろう。個人的には、胸側ではなく背中側にプリントがしてある「バックプリント」と呼ばれるデザインのTシャツが好きである。体の前面で何かを表現するよりも、何らかのメッセージや帰属感を背負うというほうが性格に合っているのだろう ...

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第2回 オシャレをしてもお洒落ではない?

「ハワイの日系人は多様だぞ。『ハワイの日系人は』とひとくくりにはできないよ。」

このエッセイを引き受けるにあたり、まず最初に日系三世のMさんは真剣に忠告してくれた。さらにその多様性や多様化について、Mさんはいつもの丁寧な口調で語るのである。

日系二世たちが高齢化するにつれて、ハワイの日系社会で求心力を誇っていた大物二世、たとえばダニエル・イノウエやジョージ・アリヨシらが一線から退き、時代の中心は三世に徐々に受け継がれていった。三世には日本語学校に通った者も多くいたが、戦中の強制収容や日系人に対する敵視政策などが原因で、アメリカへの忠誠を表す意味で日本語を学ばせない家庭も少なくなかった。そうした諸々の事情を理由として、三世以降の世代の日系人たちは多様化していったのだという。

ホノルルにはもちろんチャイナタウンはあるし、アラモアナのカピオラニ通りから山側に入ったエリアにはコリアンタウンの萌芽も見られるようである。チャイナタウンをブラつけば甲高い中国語が響いてくるし、韓国系のスーパーに新鮮な卵や野菜を買いに行けばオバチャンに叱られているような気分になる。みな自民族の言語でハワイの日常を送っている。

ところが、私の探し方が悪いのかジャパンタウンはどこにもない ...

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第1回 祖母と私のハワイへの野望

祖母は大正2年の生まれで、戦前にはハワイ移民を希望したらしい。幼いころに父親を亡くし、兄2人、姉1人の末っ子だったからだとか、活発で大変進歩的な性格だったからだとか、私は両親や叔母たちと祖母について話すことがよくある。祖母の生家は愛媛県松山市の比較的豊かな家であり、移民をしないでも食べていけるからと周りはみな強く反対したため、結局その野望は果たせぬまま終わったようである。

瀬戸内の海岸から彼方に目をやれば山口県の周防大島の影が横たわっている。この島からは大勢の日本人がハワイへ渡って行った。若かりし頃の祖母は、ハワイを目指す人たちの話をどこかで聞いてきたのだろうか。野望が実現していたら、この私は今どこで何をしているのだろうか。

孫の私は小学生の頃からハワイに強い憧れを抱き、とりわけ加藤秀俊の『ホノルルの街かどから』(中公文庫)を松山市内の書店で手に入れてからは、中学校の勉強そっちのけでハワイの魅力に浸り続けたのであった。国内のラジオ局によって1981年に生中継されたKZOO(現地ホノルルの日本語放送局)の録音テープが今でも手元にある ...

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