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ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~

第2回 オシャレをしてもお洒落ではない?

「ハワイの日系人は多様だぞ。『ハワイの日系人は』とひとくくりにはできないよ。」

このエッセイを引き受けるにあたり、まず最初に日系三世のMさんは真剣に忠告してくれた。さらにその多様性や多様化について、Mさんはいつもの丁寧な口調で語るのである。

日系人の『兄貴』たち

日系二世たちが高齢化するにつれて、ハワイの日系社会で求心力を誇っていた大物二世、たとえばダニエル・イノウエやジョージ・アリヨシらが一線から退き、時代の中心は三世に徐々に受け継がれていった。三世には日本語学校に通った者も多くいたが、戦中の強制収容や日系人に対する敵視政策などが原因で、アメリカへの忠誠を表す意味で日本語を学ばせない家庭も少なくなかった。そうした諸々の事情を理由として、三世以降の世代の日系人たちは多様化していったのだという。

ホノルルにはもちろんチャイナタウンはあるし、アラモアナのカピオラニ通りから山側に入ったエリアにはコリアンタウンの萌芽も見られるようである。チャイナタウンをブラつけば甲高い中国語が響いてくるし、韓国系のスーパーに新鮮な卵や野菜を買いに行けばオバチャンに叱られているような気分になる。みな自民族の言語でハワイの日常を送っている。

ところが、私の探し方が悪いのかジャパンタウンはどこにもない。アメリカ本土でさえ、ほんの数カ所にしか残ってはいないようだ。アメリカ合衆国のアジア系民族の中で、日系人は異人種・異民族との結婚に関する混血率も特に高い。

したがって文化変容も進み、生活様式は世代を下るにつれて西洋化が著しい云々、と普通だと話の流れは進んでゆくところである。しかしながら事はそう単純ではない。20年近く日系人の友人たちと家族や親戚同様に過ごしてきて、その間二度ほどしばらくハワイに住んでみると、日系社会における日本の文化が薄まり消えつつあるのかというと、そうとも言い切れない感覚がある。MさんやLさんら三世たちだけでなく、日頃から付き合いのある四世の小学校の先生方やその子どもたちと過ごしていても似たような感じである。

日系人の先生と

たとえば日本語がハワイの日系社会の日常会話のそこここに出てくることはよく知られている。「ベントー」「オカズ」「ムスビ」などはあまりにも有名である。日本ではあまり使われなくなった日本語でも、日本人移民によって運ばれて継承され、ハワイで今でも使われているものも多くある。「シビ」「サジ」「チョッキ」など、そういえば昔は口に出して使っていたなあと思わせてくれるものによく出くわすのである。

われわれが使っていたのと同じ意味で彼らがそれらを使っているのなら何も問題はない。だが、異なる意味やニュアンスで使われる単語もあるようなのである。彼らが使っている日本語の単語の意味を知って驚いたのは「オシャレ」である。

私はハワイを研究のフィールドにしてしまったので、純粋に観光や遊びでハワイに滞在することは気分的に最早できなくなっている。「滞在中のあらゆること」を記憶し、重要なものはできるだけ記録しようとしてしまうからである。とはいえ、フリータイムには現地の友人たちと交流したり、買い物に行ったりも当たり前にする。円高の時にはとくに多くの買い物をした。こうしたことも「滞在中のあらゆること」に変わりはない。

1ドルが70円台の頃、私はワイケレのアウトレットモールでラルフローレンの服やTUMIのスーツケースをたくさん買い込んでいた。年に3回はハワイに行くので、MさんとLさんは私の様子を見て半ば呆れていたようである。でも、ラルフローレンのシャツは仕事にもカジュアルにもよく合うし、TUMIの大小のスーツケースやカート、バッグ類はさまざまな移動シーンにうまく対応してくれる。1ドル110円になろうかという現在と較べると、それはそれはお買い得だったのだ。

前回シャツを何枚も買ったのにまた今回も買う、スーツケースを買ったのに次にはカートも買う。Lさんはそんな私を、「オシャレ neh」と言った。私は脳天気にも文字通りの意味で受け取っていたのだが、日系人の使う「オシャレ」には肯定的な意味はほとんどないのだそうだ。"show off"つまり「かっこよく見せる、ひけらかす」というのが彼らの意味するところである。

MさんLさんと私は身内のような関係であり、彼らが私を嘲笑するようなことはないのだろうが、何となく教訓のようなものも「オシャレ」という単語から感じられるので、真摯にそれを受け止めたいと思っている。かつて日本人移民の置かれた境遇を今一度振り返ってみる。その多くが農園の労働者であった彼らが「オシャレ」をどのような場面で使い続けたのか。多民族社会の農園で一番賃金の低かった日本人移民たちは、何を思いどのような気持ちで貯蓄を続けたのか。こうしたことを考えるとき、その子孫の日系人たちの使う「オシャレ」には、複雑な歴史と経験が絡んでいるように思えてくるのである。

 

© 2014 Seiji Kawasaki

hawaii language

このシリーズについて

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。