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第四章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 後編(4)
第四章(3)を読む >>
子どもの日常———夏
高校生ぐらいになると、野球、バスケットボール、ダンスパーティと組織的な娯楽が多くありましたが、ローティーンの…
ブロケット ゆり • 2015年6月15日
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第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(2)
第三章(1)を読む>>収容所内新聞から見るコミュニティ図書館 各収容所では当初ガリ版刷で新聞が発行され、WRAからの通達からコミュニティ・ニュースまでを、各家庭に届ける重要な役割を担っていました。W…
ブロケット ゆり • 2015年4月20日
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「ナポレオン特別区」
自分の過去を振り返って、人生を変えた決定的な瞬間を探しても、なかなか特定できません。おそらく、あまりにも微妙で平凡すぎて認識できないものも含め、たくさんあったのでしょう。私は、私たち一人ひとりが、幼…
ワカコ・ヤマウチ • 2015年1月9日
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外
アリゾナ州ポストンのキャンプ I に 5 か月ほどいたころ、管理局は許可された地域の農場や缶詰工場の労働者を募集し始めました。私はキャンプの他の全員と同様に、檻に入れられ、監禁されているように感じ、…
ワカコ・ヤマウチ • 2014年12月16日
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強制収容所の体験を語らなかった母が残した写真をもとに収容所生活を描く三世女性
わたしの伯母(母の姉)は、現在90歳近くになるが、広島での原子爆弾体験を約20年前まで、語らなかった。わたしの母の家族は、戦争当時は、広島市に近い呉市で暮らしており、伯母は、1945年8月6日朝、広…
東 繁春 • 2014年8月4日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その8/8
その7>>4.『ポストン文藝』の特色と果たした役割『ポストン文藝』の第一の特色は、特定の集団ではなく一般の収容者を対象とした総合雑誌であったこと。内容は文学のみならず、様々な娯楽的要素をもった読物や…
篠田 左多江 • 2011年8月19日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その7/8
その6>>『ポストン文藝』を多彩な総合雑誌にしているのは、芸能の記事や写真が華いだ雰囲気を添えているからであろう。この時期にもっとも人気のあったスターは、日本舞踊家の藤間勘須磨(濱口須磨子)で、彼女…
篠田 左多江 • 2011年8月12日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その6/8
その5>>かつて日系人の文学は短詩形文学中心であったことから、この『ポストン文藝』の中の短詩形文学作品の数はたいへん多い。
詩の分野では第一に外川明の名をあげることができる。彼は1903年、山梨県南…
篠田 左多江 • 2011年8月5日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その5/8
その4>>木内春波(貞勝)の「おもかげ」(45年7、8月号)は、初恋に破れて転落の人生を送った男が老人となって収容所の病院で死の床に横たわるとき、優しい看護婦に出あう。それはかつての恋人の娘だと分か…
篠田 左多江 • 2011年7月29日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その4/8
その3>>発行部数を完全に把握することはできないが、44年7月号が600部、1年後の45年7月号が1,000部という記録がある。多くの熱心な読者をもつ『鉄柵』でも発行部数は800部であったから、『ポ…
篠田 左多江 • 2011年7月22日