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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その2/8
その1>>しかし収容者は協力してこの不毛の地を次第に人の住まいらしく変えていった。
まず人びとがしたことは、砂塵を防ぐための植樹であった。砂漠に生えているコットンウッドや柳の一種は厳しい環境に耐える…
篠田 左多江 • 2011年7月8日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その1/8
ポストン収容所(以下ポストンとする)では二つの文芸雑誌、『ポストン文藝』および『もはべ』が発行された。前者はポストン文芸協会により1943年2月、後者はポストン・ペンクラブによって3月に相次いで創刊…
篠田 左多江 • 2011年7月1日
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詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その5/5
その4>>(5)その他詩は全部で25編ありが、素朴なものが多く、完成度の高い作品は極めて少ない。良き指導者に恵まれなかったことがその原因かもしれない。良秋(岩室吉秋)が6編の作品を発表しているほかは…
山本 岩夫 • 2011年6月24日
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詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その4/5
その3>>4. 『ハートマウンテン文藝』の内容(1)短歌この文芸誌の「歌壇」は一般読者にも投稿をよびかけたが、ほぼ心嶺短歌会の会員による作品発表の場であったといってよい。心嶺短歌会は毎週2回(後に週…
山本 岩夫 • 2011年6月17日
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詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その3/5
その2>>3. 『ハートマウンテン文藝』の創刊とその後の経過1943年12月8日付けの『ハートマウンテン・センチネル』(日本語版)で『ハートマウンテン文藝』の創刊が1944年1月と予告されている。し…
山本 岩夫 • 2011年6月10日
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詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その2/5
その1>>また、ハートマウンテン収容所は10ヶ所の収容所の中で徴兵抵抗運動が組織された唯一の収容所である。その運動を推進したのが「ハートマウンテン・フェアプレイ委員会」(Heart Mountain…
山本 岩夫 • 2011年6月3日
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詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その1/5
はじめにアメリカにおける日本語文学は多くの人々にとって今なお未知の分野であるとはいえ、その太平洋戦争以前の状況については『在米日本人史』(1940)あるいは『アメリカ移民百年史』(1962)などの歴…
山本 岩夫 • 2011年5月27日
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『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その6/6
>>その54.『鉄柵』の特色と果たした役割『鉄柵』の特色は、第一に一世の指導の下に創られた帰米二世の文学同人誌であること。加川文一、泊良彦など戦前から詩人や歌人として評価を得ている一世が指導的立場に…
篠田 左多江 • 2011年5月20日
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『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その5/6
>>その4井阿之雨という変ったペンネームで書いているのは、戦後長い間ロサンジェルスの日系新聞『羅府新報』の編集長を勤めた帰米二世の矢野喜代士である。矢野の戦前のペンネームは創刊号で使っている丸山定夫…
篠田 左多江 • 2011年5月13日
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『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その4/6
>>その3編集者のひとり河合一夫は、樋江井良二のペンネームで書いている。彼はたいへんな文学青年で、岩波文庫をほとんど全巻揃えて収容所へ持ってきたほどの読書家だったという。
詩は「君が像を彫れり」(創…
篠田 左多江 • 2011年5月6日