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『移民と日本人―ブラジル移民110年の歴史から―』を読み解く―「ブラジル」日本移民研究への新たな視点―

ニッケイ新聞社編『移民と日本人 ─ブラジル移民110年の歴史から─』(深沢正雪著、無明舎出版、2019年)

1908年4月28日、第一回ブラジル日本移民の781名を乗せた移民船「笠戸丸」が神戸港を出帆し、6月18日にサントスに到着してから今年で111年目を迎えた。この間、紆余曲折を経て、今日ではおよそ190万人を擁する世界最大の日系社会がブラジルで築き上げられている。過日7月8日には、こうしたブラジルにおける日本移民の先達たちのこれまでの功績を祝し、連邦上院議会で日本人ブラジル移住111周年特別式典が催された。

この111周年の節目に、サンパウロ・ニッケイ新聞社の編集長、深沢正雪氏(ニッケイ新聞社編)による『移民と日本人―ブラジル移民110年の歴史から―』(無明舎出版)が刊行された。同書は、著者が日本史の「B面」たる移民史を再検討し、ブラジルの日本人移民史を日本近代史上に組み込もうと試みた点において、従来の「ブラジル」日本移民研究とは一線を画しており、極めて興味深い内容となっている。

長年に亘るジャーナリズムの経験と識見を生かし、これまでにも日伯両国に関して膨大な資料を渉猟して『一粒の米もし死なずば―ブラジル日本移民レジストロ地方入植百周年』(無明舎出版、2014年)や『「勝ち組」異聞―ブラジル日系移民の戦後70年―』(同、2017年)などの著書を精力的に発表してきた氏は、本書において終始、「なぜ、どのような」日本人が日本を出たのか、いわば日本人移住者の「ルーツ(根源)」をめぐる問いを投げかけている。

そうした問いに対し、著者はアマゾン河よろしくブラジル日本移民のルーツを「源流」(第一章)と「本流」(第二章以降)に、さらに後者は「(隠れた)底流」や「傍流」にも分岐させて論じていく。南米には「いつから」日本人がいたのか? また、彼らは「なぜ」、「どのように」して南米にやって来たのか? 「源流」では、これらの問いを安土桃山時代にまでさかのぼり、当時の隠れキリシタンやキリシタン大名の存在、また豊臣秀吉のバテレン追放令などキリスト教との関連から浮き彫りにしている。

第二章以下終章までの「本流」は、主に明治時代以降、ブラジル日本移民に関係のある、がしかし従来とは趣を異にする斬新なテーマに挑んでいる。著者もたびたび触れているが、日本人が移民としてブラジルに渡ったのは、人口増加とそれに付随する食糧難という当時の日本の行き詰った社会的状況が背景にあった。拓務局事務官の園田寛によれば、「国土の三分の二が山岳を以て被われ人民の居住にも又農耕にも適せざるものなるが故に其の適住の地を以て見るときは其の人口の稠密なる世界無比と称すべき」(「植民地諸問題」、福岡日日新聞、1918年5月11日付)ほどであったという。

当時の日本は、新たな開墾地などもはや見込まれず、過剰人口かつ人口密度も「世界無比」でありながら、島国ゆえに領土の拡張もできず、八方塞がりであった。したがって、否が応でも国外に目を向けざるをえなかった。他にも戦争や自然災害といった出来事に起因する経済的問題があったが、そのような従来からの説に加え、著者は「戊辰戦争やその後の士族の反乱の激戦地として疲弊した地域」や「自由民権運動の流れの様な明治維新に不満をもっていた人たち」、すなわち「明治維新の“逆賊”や、“負け組”となった地域」からなる明治時代に不満を抱いていた人々がブラジルに移住したのではないかと推察している。この指摘は一考に値するもので、この方面のいっそうの研究が期待される。

その他、社会的迫害を受けていた階層を、「明治の日本社会の太い傍流」と位置づけ、これまでタブー視されてきた「被差別部落出身者」の言及に踏み込んだり、「沖縄県人」に「潜伏キリシタン」といった、ブラジルに渡った日本移民としての彼らを詳述していることも耳目を引く。なかでも被差別部落出身者のようなデリケートな問題について、著者は記述をためらった様子もうかがわれるが、「ムリを承知であえて」記述に及んでいる。

このような著者の英断があればこそ、我々は日本移民史の「本質的な部分」への理解が可能となる。また、巻末の日本の出来事と世界の出来事を対置した略年表も、本文で論じられた内容が簡素にまとめられており、日本史と世界史(日本移民関係)の間の密接な交流を示そうという著者の意気込みが伝わってくる。

ニッケイ新聞社現編集長の著者は、本書で、同社の元編集長の言、「日本移民は壮大な民族学的な実験だ。(中略)ブラジルという“人種のるつぼ”に叩き込まれた大和民族がどんな風に変容していくのかに興味がある」を著者なりに反芻して、特に「『壮大な実験がどのようにして始まったか』という出だし部分を書くこと」に注力しており、“実験の結果”にはあまり触れないと前書きしている。

たしかに「なぜ、どのような」日本人が日本を出たのかという日本人移住者のルーツを探求する姿勢なり意識には一貫性がみられる。が、あえて付言するとすれば、壮大な実験のプロセス、つまり元編集長の述べる「どんな風に変容していくのか」という過程の部分についての説明がいささかなりともあれば、ブラジル日本移民の理解が一段と進んだかもしれないと思うのである。

たとえば、“排日問題”ないしは“日本移民排斥問題”はその好例であろう。これは日本史の「B面」とも移民史の「ウラに潜む真実」とも言い得るもので、アメリカ合衆国をはじめブラジルやペルーなど、当時日本移民の行く着く先々で20世紀前半に発現した。ブラジルにおいてもすでに1912年4月30日付のブラジル新聞(Jornal do Brasil)で、ルイス・ゴメスなる人物によって日本人は、「アーリア人主義の理想と正反対の見苦しい黄色の人種」で、「劣等人種」かつ「同化不能な人種」であるなどと指弾される記事が現れていた。

政治的には、移住後10年にも満たぬ1917年に、少壮気鋭の議員マウリーシオ・パイヴァ・デ・ラセルダが日本人植民地建設の契約内容をめぐって問題化した。その後、1923年にはフィデリス・レイスにより、俗に「レイス法案」と呼ばれる移民制限案が提出され、このときは事なきを得たものの、1930年革命によってジェトゥリオ・ヴァルガスが臨時政府の大統領に就任した前後から、種々の要因でブラジル日本移民の風向きが悪くなり、ついに1934年には「外国移民二分制限法」が可決・施行されるに至った。

こうした排日問題のような衝突は、ふつう、なにがしかの因果関係があって生じるものだ。初期の日本移民に関しては、言語面のみならず、風俗・習慣のうえで著しい相違があった。日本移民は勤勉だが一方で野蛮かつ非文明だと評され、三浦鑿をはじめ日本人側から自国移民の素質改善の声が上がっていたのも事実である。(大阪朝日新聞、伯西移民と素質改善の要〈上・下〉、1924年6月21日―22日付)現在の約190万人もの日系社会がブラジルに築かれた基底には、かつての筆舌に尽くしがたい困難を乗り越えた日本移民の先達たちの不断の努力があったとともに、その裏には排日問題という日本人にとってはつい目を背けたくなるような出来事もあったということを忘れてはならない。

本書において著者は、過去から現在への連続性の中に、いわばブラジル日本移民史における“空隙”として、「ブラジルにいる間の日本人移民とその子孫の活動」を挙げている。とすれば、著者が目指した「日本移民という壮大な実験の出だし部分」の考究は、その空隙を埋める重要な糸口となるに違いない。

しかし、先の空隙そのものを埋めるためには、やはり“ブラジルにいる間の”日本人移民とその子孫の活動について丹念に史的考察を行い、検討する必要がある。この点は、「ブラジル」日本移民研究の今後の課題であろう。

望蜀の言ながら、惜しむらくは参考文献が列挙されていなかったこと。加えて、私的関心ながら、ブラジルの日本移民と外国移民との関係(史)への若干の論及があってもよかったように思う。しかしながら、これらはなんら本書の価値を傷つけるものではない。

いずれにせよ、著者が本書の中で多岐に亘って論じる内容を、評者が遺漏なく論評するのは容易なことではない。が、従来にない視点から日本移民史を通観・俯瞰し、こんにち日本で働く日系ブラジル人を含めた外国人労働者の問題にまで結び付けて、移民の有り様を問うている。そのうえで、移民史が日本近代史のなかで位置付けられれば、日本人の「島国意識」にも変化が生じるだろうとも推察する。

ともあれ、この書が起爆剤として移民史研究が加速度的に発展することが期待される。この意味において、同書『移民と日本人―ブラジル移民110年の歴史から―』は、ブラジルに関心を寄せる者にとって好個の文献であり、読みごたえがある。

 

*本稿は、「ニッケイ新聞」(2019年8月2日)からの転載です。

 

© 2019 Kiyokatsu Tadokoro, Ryo Kubohira

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