ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2011/05/30/issei-pioneers/

一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924- その22

>>その21

平等な権利を求めて

一世たちはお互いに助け合い、暮らしの糧を自分たちのコミュニティーに見いだしていたが、彼らの周囲では常に排日の嵐が吹き荒れていた。「劣等人種を制限せよ」とか「アメリカとカナダは白人の国のままに!」などの人種差別的な主張が相次ぎ登場した。1905年の新聞の見出しには、「日本人はアメリカ人女性への脅威」とあり、カリフォルニア州選出上院議員ジェームス・D・フェランは次のように警告した。「ねずみ(日本人)は穀物倉庫の中にいる。奴らはドアの隙間を抜け出て、恐ろしい勢いで繁殖する。今、これを規制しないと、カリフォルニアの白人社会は消滅し、ひいてはアメリカ社会制度の崩壊、そして西欧文明の終結がやってくる。」

一世指導者は反日白人勢力の非難に対抗するため、カリフォルニア全域、ネバダ、ユタ、コロラド、アリゾナの各州を抱合する「日本人会」などの団体を組織した。地方の各コミュニティー日本人会は、中央組織(サンフランシスコ、ロスアンゼルス、シアトル)を中心として一貫した姿勢で反日運動に対処した。また、このほかにも日本人会は、各種証明書の発行事務を日本領事館のかわりに行うという役目も果たした。日米紳士協定によって新規日本人労働者のアメリカ渡航禁止が実施された後、日本への一時里帰りした移民たちが協定以前からの在米住人であることを示し、アメリカ再入国を可能にする証明書や、日本での徴兵を免除するための書類などは、一世にとって特に重要だった。

1919年にサンフランシスコを訪れたウィルソン大統領にあてた請願書で、在米日本人会(中央団体)は次のように論じた。「日本は、勤勉と忍耐の国といわれている。そして、当然のことながら、当地の日本人も勤勉、忍耐の習慣を身に付けている。しかし、アメリカ人がこのような我々の性格について非難するのはいささか不思議に思える。というのも、アメリカ人自身が似たような性格を持ち、それを誇りにしているからである。」1

また、日本人会はこのような報告も行なった。「我々は、彼ら(一世農民)に隣人(白人農民)と摩擦を避けるためにあまり一生懸命働かず、自己啓発のための余暇の時間を作るようにと忠告している。(中略)我々は、同胞がアメリカの生活に適応できるように、基本的なアメリカ文明の知識を伝えるべく努力している。成功の第一歩は(アメリカ社会への)同化であると教えている。」2

大陸在住の一世たちは着物のかわりに洋服を着用したり、生活環境をアメリカの一般(白人)レベルに合わせることで反日批判をかわそうとした。日系人が全人口の40パーセント以上(1910-1920)を占めたハワイでは、本土より時間がかかったが日本人会や日本領事館の圧力もあって、次第に着物での外出を避けるようになった。3

また公共の場所で大声で日本語を話したり、日本語の看板や日本の物品を人目に触れる場所においたりすることを避ける努力も行なわれた。一世たちは、日曜日は仕事を休み、クリスマスや感謝祭、またアメリカ独立記念日などを祝うように言い渡された。

バスの中小声でささやく日本語4

一世女性たちは、米化学校に入学し、応急手当て、刺繍、タッチング、カギ針編み、ニッティングなどの技術を習った。また、英語のクラスは、特に人気を集めた。

第一次世界大戦時、一世たちはアメリカ戦時公債購入運動を実施した。カリフォルニア州だけで、彼らは合計264万8,800ドル分の公債を買った。5

同時に、一世指導者たちは日本人コミュニティーから賭博と売春を撲滅するために、西海岸全域で道徳改革運動を展開した。賭博場はボイコットされ、犯罪、反社会的活動に関わる者は追放された。各地の日本人会は、コミュニティーの平和を乱すと思われる者に対する各種証明書の発行を拒絶し、一世住民の不法行動、不道徳行為を制限した。

しかし一世指導者のなかには、単に外見をアメリカ風に変え、キリスト教やアメリカの民主主義的価値観を信じるだけでは不十分だと考える人達もいた。ある一世は言う。「当時の社会情勢のもと、日本人の間では『米化運動』が盛んになった。(中略)キリスト教徒になるのも、米化の一つだったが、我々は、アメリカ式生活様式を理解し受け入れる事に重きを置いた。」6

その23>>

注釈:
1.California And The Oriental(1920)203-215ページ。または、John Modell著、The Economics and Politics of Racial Accomodation: The Japanese of Los Angeles, 1900-1942(シカゴ、1977)12ページ。
2.Modell、前掲書、12ページ。
3.牧野金三郎伝編纂委員会、「牧野金三郎伝」40ページ。
4.房子。伊藤一男著、「北米百年桜」135ページ。
5.Modell、前掲書、84-85ページ。
6.河野ジュウヘイ、インタビュー。Sarasohn著、The Issei、68-69ページ。


*アメリカに移住した初期の一世の生活に焦点をおいた全米日系人博物館の開館記念特別展示「一世の開拓者たち-ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924-」(1992年4月1日から1994年6月19日)の際にまとめたカタログの翻訳です。  

© 1992 Japanese American National Museum

反日感情 差別 対人関係 一世の開拓者たち(展覧会) 全米日系人博物館 全米日系人博物館(団体)
執筆者について

アケミ・キクムラ・ヤノは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校アジア系アメリカ人研究センターの客員研究員です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で人類学の博士号を取得しており、受賞歴のある作家、キュレーター、劇作家でもあります。著書『過酷な冬を乗り越えて:移民女性の人生』で最もよく知られています。

2012年2月更新

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