ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/898/

日本人初の運転手

運転手になったのは12年じゃったんじゃが。友達に言ったら、わし自体も[運転が]恐ろしいくらいでね。運転手は恐ろしい。じゃけど、他の友達は教えてくれんだったら、習っといて悪いことはないんじゃから。それでそう習った。それだからわしは、日本人ではnúmero 1(No.1) (笑)

そりゃー運転手が一番よかったんじゃからね。それでなんじゃね、26年の、19年に田舎入ったんじゃ。それまではなんじゃね、若い者ばかりじゃから、寄ると触るともうドンチャン騒ぎで飲んだり食ったりね。で、わしはまぁ、家内もおりゃ、子供もおるから、そんなことしちゃおれんから、こんなことしたって非常にもう、田舎入って百姓するつもりで。それでピタンゲラへ行ったんじゃ。


ブラジル 運転 移住 (migration)

日付:

場所: ブラジル

提供: Caminho da memória - 遥かなるみちのり. São Paulo, Brazil: Comissão de Elaboração da História dos 80 Anos de Imigração Japonesa no Brasil, 1998. VHS.

語り手のプロフィール

児玉良一(こだま・りょういち)氏は1895年7月、広島に生まれました。1908年、ブラジルへの初の日本人移民を載せた「笠戸丸」にて、単身ブラジルへ入国しました。契約移民としてやってきたコダマ氏は、モギアナ鉄道線沿いにあるデュモント農園で4年間働き、その後、日本人として初めてブラジルの運転免許を取得。以後、運転手として活躍しました。笠戸丸移民についての知識は豊富で、Presidente Prudente市では「生きた百科事典」として知られていました。広島県人会や地元の文化協会でも活躍していました。 (1998年)

Mitsuye Yamada
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ミツエ・ヤマダ

日本から到着した母のためにアメリカの洋服を買った父(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)

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