ディスカバー・ニッケイ

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第二次世界大戦中に尊厳をもって扱われた日本人(スペイン語)

(スペイン語)コロンビア政府が日本人農家に一目置いていたことは、、日本人移民の保護の仕方に影響していたといえると思います。

日本人移住者によってコロンビアの農業技術は発展したので、あのような状況になってもひどい扱いをしなかったのだと思います。政府は、敬意を持って対応していました。戦時中の日本人は、大変な思いはしましたが、それほどひどいものではなかったのかも知れません。もちろん、残された家族は多くの苦難を味わったし、世帯主なしで生き抜くことは大変なことでした。とはいえ、政府からひどい扱いを受けたわけではないし、なんとか工夫しながらやっていったのです。


コロンビア 第二次世界大戦

日付: 2019年9月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

モニカ・タイシャーは、1974年にコロンビアのカリ市で一世の父親と二世の母親の間に生まれました。 彼女の家族と親戚は、コロンビア最大のカリ日本人コミュニティーに積極的に関わっていました。 東ヨーロッパ出身のユダヤ系米国市民と結婚した後、渡米しました。 彼女は、夫と娘たちとともにコロンビアで休暇を過ごし、コミュニティーのイベントに参加しています。(2020年5月)

 

ジミー・ナガヌマ

ペルーから米国へ強制連行(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティで歓迎を受けた家族(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジミー・ナガヌマ

クリスタルシティでの最初の食事(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士