日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

日系日本語雑誌の多くは、戦中・戦後の混乱期に失われ、後継者が日本語を理解できずに廃棄されてしまいました。このコラムでは、名前のみで実物が見つからなかったため幻の雑誌といわれた『收穫』をはじめ、日本語雑誌であるがゆえに、アメリカ側の記録から欠落してしまった収容所の雑誌、戦後移住者も加わった文芸 誌など、日系アメリカ文学雑誌集成に収められた雑誌の解題を紹介します。

これらすべての貴重な文芸雑誌は図書館などにまとめて収蔵されているものではなく、個人所有のものをたずね歩いて拝借したもので、多くの日系文芸人のご協力のもとに完成しました。

*篠田左多江・山本岩夫 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。

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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その2/8

その1>>

しかし収容者は協力してこの不毛の地を次第に人の住まいらしく変えていった。

まず人びとがしたことは、砂塵を防ぐための植樹であった。砂漠に生えているコットンウッドや柳の一種は厳しい環境に耐える強い生命力をもっていたので、挿し木で簡単に苗を作ることができた。収容者には農家も多かったので、このような作業は得意であった。木ばかりでなく、家の周囲には、デヴィル・グラスという芝草の一種も植えて芝生の代用にした。デヴィル・グラスは根が深く、畑にはびこると除去が難しい嫌われものの雑草であったが、このときばかりは砂嵐を防ぐ貴重な植物となった。さらにいくつかの公園、屋根つきの避暑施設などが造られた。

造園業にたずさわっていた人も多く、公園はその技術の粋を凝らして造られたようで、所内の新聞『ポストン・クロニクル』の日本語版『ポストン新報 ...

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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その1/8

ポストン収容所(以下ポストンとする)では二つの文芸雑誌、『ポストン文藝』および『もはべ』が発行された。前者はポストン文芸協会により1943年2月、後者はポストン・ペンクラブによって3月に相次いで創刊された。とくに「ポストン文藝」は全ての収容所の雑誌の中でもっとも早く発行され、収容所が閉鎖になる2ヶ月前まで続いた。3年近く継続して発行された収容所雑誌は『ポストン文藝』のみである。

『若人』『怒濤』のような青年団機関誌、『鉄柵』のような文学誌とは異なり、『ポストン文藝』は一般的な娯楽雑誌の要素をもつ。さらに前述の3誌と異なる点は ...

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詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その5/5

その4>>

(5)その他

詩は全部で25編ありが、素朴なものが多く、完成度の高い作品は極めて少ない。良き指導者に恵まれなかったことがその原因かもしれない。良秋(岩室吉秋)が6編の作品を発表しているほかは、ほぼ一人一編である。季節の風景を歌う作品がもっとも多いが、収容所生活の憂いと悲しみ、収容所生活ゆえの南カリフォルニアへの郷愁、平和を願う心などを歌う作品も目立つ。恋の詩も数編見られる。

H・N生「アラバマの空」と常石芝青「大悲心山」は心を打つ作品である。「アラバマの空」では幽囚の身の悲哀と自由への憧れが、また ...

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詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その4/5

その3>>

4. 『ハートマウンテン文藝』の内容

(1)短歌

この文芸誌の「歌壇」は一般読者にも投稿をよびかけたが、ほぼ心嶺短歌会の会員による作品発表の場であったといってよい。心嶺短歌会は毎週2回(後に週1回となる)の歌会を持ち活発な活動を行っていた。

高柳沙水が短歌を詠む人に求めるものは「現在我々が直面してゐる境地から取材」することであった(5月号)。彼の作品は自然や季節の変化をよく取り上げるが、時局にも強い関心を示している。戦況を常に意識し、劣勢な戦いを進める日本に対して連帯の想いを表す(「戦時遠流の我等に歌の一つあれ後世史家の心打つ歌」)。毎号、選者として示す3首のうち、少なくとも1首は時局を詠んでいる ...

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詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』 -その3/5

その2>>

3. 『ハートマウンテン文藝』の創刊とその後の経過

1943年12月8日付けの『ハートマウンテン・センチネル』(日本語版)で『ハートマウンテン文藝』の創刊が1944年1月と予告されている。しかし1943年12月18日付けの同紙の記事から判断して、1943年12月20日に創刊されたものと推測される。最終号となった1944年9月号を含め、全部で6号発行された。6月号と8月号は発行されず、また7月号(1944年8月2日発行)については、今回入手できなかった。

この雑誌は高柳沙水から指導を受けながら、岩室吉秋と大久保忠栄(おおくぼ・ただしげ)が編集者となって創刊された ...

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