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移民と移住者

移民と移住者の違いは何か。そして現在ではあまり聞き慣れない言葉だが、移住人や移住民、移民者という言葉も使われていた。これらの言葉の違いは何か。

結論から述べれば、これらはすべて同じ対象を指し、使われた時代が異なるだけである。しかし時代の変遷とともにその意味が変化した。さらには、移住という現象の始まりや状況変化に深く関わっている。これらの言葉がいつ頃使われたのかを確認しつつ、その背景を見てみよう。

横浜移住斡旋所、1956年(海外移住資料館所蔵)

歴史的に見ると、これらの言葉が出現する順番は、移民・移住者・移住人・移住民・移民者となる。しかし当初は、ほとんど区別されずに混在して使われていたように見受けられる。移民という言葉は、「米国へ移民三百人」というタイトルで慶応4(1868)年4月の『中外新聞』に、さらには「日本移民布哇で歓迎」というタイトルで同年8月27日に『もしほ草』に使われている。その翌年明治2(1869)年7月20日には、「スネルが開いた日本村 邦人亜米利加に移住 移住者の多く会津の人」というタイトルで、『中外新聞』に移住者という言葉が使われている。

移住人という言葉は、1884年5月6日付『読売新聞』に「米国政府の移住人保護」というタイトルの記事に見られる。その二年後1886年には、複数個所で移住民という表現が使われている。さらに二年後1888年の『東京朝日新聞』にも移住民という表現がある。語尾が「人」であるか「民」であるかはともかくとして、その「移住」という語が出現するのは、1880年代半ば以降であることが分かる。これはいわゆる官約移民が1885年に始まる時期と重なっている。つまり、1880年代中頃が「移住」という現象が一般的に知られるようになった時期だと推測される。ちなみに、官約移民という言葉は、のちになって官約に対する私約という言葉が使用される際に命名されたもので、その当初から使われていた言葉ではないようである。

ほかにも傍証として、ヘボン式で有名なJames Curtis Hepburnによる『和英英和語林集成』がある。同辞典は1867年日本で最初に出版された和英英和辞典である。その第1版にはemigrateの用語が採録されているが、その意味はUtsuru; hiki-kosz(うつる、ひきこす)となっており、和英の項には移住や移民は収録されていない。emigrant, immigrant, migrant の語も英和の項には見当たらない。しかし、1886年に発行されるその第3版には、以下の用語が採録されている。

イジュウ(utsuri sumu)

Removal or changing one’s dwelling place; emigration from one country to another:
     -nin, an emigrant

Emigrate, i.v. Takoku ye utsuru, kuni-gae wo suru, iju suru

つまり、「移住人」「移住する」という言葉がこの頃には使われ、認知されていることが確認できる。そして、1888年8月7日付『東京朝日新聞』にも「布哇国事情」というタイトルのもと以下のような記述が見られる。

「日本人の移住ハ今を去る二十一年前即ち明治元年二渡航したる百五十名を以て嚆矢とす」

「明治十八年日布両国間に移住民の締約ありしより農業出稼の為移住する者九百七十余人あり之を第一回の移住民とす」

ここではいわゆる元年者が日本人移住の嚆矢だとして、明治18年つまり1885年の移住民が第一回移住民であるとしている。以上から判断すると、1880年代は移住や移住民という言葉が新聞でも普通に使われていたことが分かる。ところが1890年代に入ると、これに代わって「移民」という言葉が定着していく。その転換点は法律制定、つまり移民保護規則と移民保護法である。

明治時代、日本政府は殖産興業政策の一環として新事業を起こし経営が軌道に乗ると、民間に払い下げた。移民制度もまた同様であった。さらには日清戦争が始まったことにより、政府にその余裕がなくなったこともあり、移民事業を民間に移譲した。その結果、民間会社が増えていく中で弊害が現れ、取り締まりが必要になった。そのための具体的な法律が移民保護規則や移民保護法であった。(アラン・T・モリヤマ『日米移民史学-日本・ハワイ・アメリカ』1988年)

移民保護規則は1894年4月12日に公布されるが、2年後には改正され、移民保護法として1896年4月7日に施行される。これらの法律には、それぞれ以下のような移民の定義がある。

「本令ニ於テ移民ト称スルハ労働ヲ目的トシテ外国ニ渡航スル者ヲ謂ヒ」(移民保護規則)

「本法ニ於テ移民ト称スルハ労働ニ従事スルノ目的ヲ以テ外国ニ渡航スル者及其家族ニシテ之ト同行シ、又其所在地ニ渡航スル者ヲ謂フ」(移民保護法)

この1896年移民保護法以降、移住という「行為」を表す言葉は継続して使用されるものの、「人」を表す言葉としては、移住人や移住民は使われなくなる。わずかに移民者という言葉は見られるものの(例えば、筋師千代市『英語独案内』1901年)、ほぼ移民という言葉に統一されていく。そして、1905年には『日本移民論』という書籍が出版され、そこでもまた移民の定義が以下のようになされている。

「移民とは母国を去りたる人民が他国に於て個々に又は団体を成して生活する者を云ふ」

「移民はその停住期間の長短に依て、一時的移民(或は出稼)及永住的移民の区別あり、一時的移民とは三、五年の後母国に還る者を云ひ、永住的移民とは帰還を予想せざるものを云ふ」

ここで注意をひくのは、出稼ぎを「一時的移民」として捉えていることである。移民を「一時的」と「永住的」に区別し、一時的とは「三、五年の後に母国に還る者」と定義している。これを裏返せば、この当時、3年から5年程度出稼ぎとして海外で過ごし帰国した者が一定数いて、移民と呼ばれていたということであろう。のちに述べるように、現在では出稼ぎは移民とは捉えられていない。ここに戦前と戦後の違いが見られる。いずれにせよ、戦前は労働を目的として海外に渡る者は、その期間の長短に関わりなく移民と呼ばれていたことになる。

移民という言葉が使われていた事実確認に戻ろう。この移民保護法以降は、新聞で使用される用語はほぼ移民となる。出版物における用語も、以下のように一部を除き、移民がほとんどである。

「南米移民の断行を望む」(水野龍『南米渡航案内』1906年)

「我邦で此の移民といふ用語を用ふるやうになりましたのは、布哇へ移民を送った所謂官約移民の初期、即ち明治16(1883)年頃からのやうであります」(龍江義信『移植民講習会講演集』1931年【筆者注:官約移民の始まりは1885年】)

「ブラジル本邦移民の現状」「アメリカ合衆国本邦移民事情」(山本三生『日本地理体系 海外発展篇上巻』1931年)

「ブラジル入国の移民」「移民家族」「ブラジル移民」(石川達三『蒼氓』1935年)

「一団の無知な移住民」(菊池寛『文藝春秋』1935年)

「日本移民概史」(巻島得壽『日本移民概史』1937年)

「小資本を持って来た移住民は裸移民にもまして成功が難しい」(小山秀子『地球を廻りて』1942年)

また1928年には、外務省所管になる国立神戸移民収容所が開所される。しかし、同移民収容所は「移民は棄民を収容所は刑務所を連想させる」ことから、「1932年には神戸移住教養所と改称される」(神戸移住斡旋所『神戸移住斡旋所案内』1953年)。おそらくこうした背景がもととなり、1955年には外務省移住局第一課長から、「『移民』と言う呼称の代りに『移住者』とするの件」と題した以下の内示が出される。

「本件に関し従来本省及び在外公館に於ては「移民」と言う呼称を用いて来たが右は所謂「食いつめ者」の如き印象を与え移住政策上面白からざるに付いては爾後本省並びに在外公館に於ては凡て「移住者」の語を使用する事に統一致し法律用語としても逐次右に倣う事と致し度く。右高裁を仰ぐ」

神戸移住斡旋所、1953年

以上を整理すると、1890年代から1930年代にかけては移民という語が一般的に使われる。しかしその語から受ける印象は、少なくとも当局の立場からは望ましいものとはいえなかったようで、政策上の理由からその使用を避けるようになった。言い方を変えれば、当時移民に対して一般的に抱かれるイメージが好ましくなかったということである。しかしこの説には疑問も多い。いわゆる移民県の各地には、海外の移民から夥しい寄付や送金が行われ、地元に多大な貢献を果たした記録が残っている。上記の内示が根拠となったかどうかは定かではないが、おそらくこれをきっかけとして、戦後は移住者という用語が一般的に使用されるようになり、現在に至っている。それにも関わらず、興味深いことに現在でも「移民」という言葉は使われている。海外から日本にやってくる外国人に対してである。日本から海外に渡る人々は移住者と呼ぶが、海外から日本にやってくる人々は移民と呼んでいる。

この語にまつわる判断は難しい。第三者が抱くイメージとは無関係に当事者自身の価値判断はなされるからである。それは「日系人」という語と同じである。当然のことながら、移住した人々がすべて棄民に値する人々であったわけではない。一定の財産が必要であったという説も有力である。大志を抱き夢見て渡った人々も数多くいたはずだ。夢破れのちにそのような意識に自分を重ねる人もいたかもしれない。しかし例えば、戦前にブラジルに移住し、帰伯二世でもある宮尾進(サンパウロ人文科学研究所元所長、故人)は、「自分が『移民』であることに何も負い目はなく、それどころか戦後の移住者と異なり、自分たちの力でゼロから築いてきた『移民』であることに、誇りをもっている」と述べる人々もいる。人によりその価値判断や意識は異なるだろう。従って、移民は棄民を連想させると断定することには偏見もあると推測できる。

移民、移住者、いずれにせよ、英語に訳せばemigrantやimmigrantである。移住は国際的な現象であることから、その定義も国際的に承認されたものである必要がある。国際移住機関(IOM)によれば、現在その定義は以下のようなものである。

Emigration - The act of departing or exiting from one State with a view to settling in another.

Immigration - A process by which non-nationals move into a country for the purpose of settlement.

この場合のsettleとは choose permanent homeとある。つまり、移住とは永住を目的として一国家を後にして別の国家内へと移動することである。そして具体的には、永住権の取得がimmigrantとしての要件になっている。従って留学や商用などの目的での一時滞在者は、immigrantに含まれない。

近年、人の移動は多様になり、一時的滞在と永住の二分法では捉えきれない、その中間的な形態も見られるようになってきた。日系人や日系コミュニティの捉え方に関係しても、二国間の往復を繰り返す者や、頻繁に移動する漂泊者も存在し、いっそう定義が難しくなっている。

 

© 2017 Shigeru Kojima

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