鮫島等 (さめしま・ひとし)
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第8軍司令部配属
1945年10月9日、等は横浜港に着いた。しばらくして横浜税関の建物を撤収して設けられた第8司令部の配属となり、B級戦争犯罪人の聴取の通訳に当たった。巣鴨刑務所に収容されている日本人将校や九州帝大での米兵生体解剖事件の関係者などと会う日々が続いた。「麗しの祖国、大和撫子の国…」と聞かされて初めて土を踏んだ日本の混迷の様子に胸が痛んだ。
当時、日系人通訳の宿舎は横浜の旧絹検査所にあった。食糧は米国から持ち込んでおり、当時の日本人の食生活とは雲泥の開きがあった。
ある日、寄宿舎の外のゴミ箱のかたわらで、空き缶をスプーン代わりに残飯をすくって背中の赤ん坊に与えている母親の姿を見た。赤ん坊の顔も身なりも汚れていた「同じ人間なのに…」目頭が熱くなった。翌日からは、空腹を装って多めにもらった食糧を外で待つ母子や老人にそっと分け与えたが限界を感じた。当時のことを思い出すと今でも涙があふれてくる。
Based on this original
1945年、横浜にて |