ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1792/

たわし工場労働者から洋服の仕立て屋へ

普通の人たちはみんな農業と言うことで、内陸部の方へ行くんですけど、我々はそのしむたかつみとしむたことの呼び寄せで行ったので、農業をする必要が無くてですね、最初からサンパウロで住んだわけですよ。

そのしむた夫妻は小さなたわしを作る工場を、経営していたんですね。そこでの労働力を確保したいために、我々を呼んだんだろうと思うんですが、まぁどう考えてみても、やっぱり戦前からずっといる人たちと、戦後行った我々と、やっぱり考え方が全然合わないですね。

それでそこにそうですね、どの位いたんだろうな、一年半か二年位いまして、それで私の父は洋服の仕立屋をやっていたんですね。ですから、日本で。若いころからずっとそれやってて。それで、手に仕事が、職があったから、そこを飛び出しても何とかやっていけたということなんですね。


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日付: 2019年9月19日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年長野県に生まれた二宮正人氏は、5歳の時一家でブラジルへ移住。 現在は、サンパウロに法律事務所を構え、サンパウロ大学法学部にて博士教授を務める傍ら、明治大学の学長特任補佐、武蔵野大学法学部客員教授を務める。 1992年の創設時よりCIATE-国外就労者情報援護センターの理事長、日本学術振興会(JSPS) 中南米アドバイザー、国際協力機構 (JICA)の委員なども兼任している。 また、ブラジルニッケイコミュニティリーダーとしても一目置かれており、ブラジル人のデカセギの労働状況の改善や、日系人子弟の教育など、様々な活動をサポートしている。(2021年5月)

阪根 博

日本人としての強いアイデンティティ

天野博物館事務局長(1948年生)

ウィリアム・ホウリ

日本人ではなく日系人(英語)

政治活動家(1927-2010)

堀切 エドワード・徹

ボーディングハウスと一世

帰米二世(1929年生)

堀切 エドワード・徹

ホテル経営を始めた父

帰米二世(1929年生)

堀切 エドワード・徹

最も運に恵まれた一世(英語)

帰米二世(1929年生)

ファン・アルベルト・松本

父がアルゼンチンへ移住した理由

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

笠原 ハルオ

日本が恋しくて泣いた日々

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

笠原 ハルオ

大変だったプランテーションでの仕事

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

笠原 ハルオ

一日中子供を預けて仕事

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

笠原 ハルオ

真珠湾攻撃後のプランテーションの対応

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

カズム・ナガヌマ

親のペルーへの移住

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)