僕は自分のアメリカでの生活の前半というのは、まったく一世と同じ道を歩いたし、一世がやったようなことを僕はやってきたと思いますね。だから最初の15年、結婚して、結婚して子どもが3人いて、父が死ぬまで十何年間というのは、お金を、仕送りを続けましたから、働いても働いても貯金というのはほとんど無かったです。だから小学校に入っている女の子3人いながら、彼女たちはバケーションなんて、僕にも無かったけど、娘たちにもバケーションの楽しい思い出も何にも無かったんですね。
だから、僕は帰米は、いったら「ジュニア一世」だと、そういう位置づけをしていますね。
もう一世と同じ、ありとあらゆる事をやりました。もうガーデナー見習いから、ハウスボーイ、トラック運転手、小さなお店の売り子。その辺にあるのは手当たり次第という感じで仕事をしましたね。だからその為に、学校にはほどんど行けなかった。いやほとんどじゃなくて、全然学校には行けなかった。だから英語を勉強するあれも、これね、自分の失敗です。学校に行かなかったっていうのは。
日付: 2012年1月31日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ、西村 陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター