ディスカバー・ニッケイ

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ボーディングハウスと一世

僕があの世話になったのは、ボーディングハウスでガーデナヘルプする見習いとかね、ガーデナのヘルパーとして働いている時、たくさんの一世に会っているんですね。この一世達というのは、結婚できなくて一生独身で通した一世。それからメキシコから国境を越えてきたいわゆる、今言われるメキシコ系の何ていうんですか、ウェットバックですね、こういう方。それから奥さんを亡くされて息子さんと住んでいるんだけど、息子の嫁が二世でうまくいかないんで家を飛び出してボーデンハウスに行った。こういうね、まだ一世の晩年に、僕は運が良くて、たくさんの方にお会いして、個人的な話も色々聞かされましたしね。で、日系社会がどうなっているのか、どういう風にこれから変わっていくのであろうかっていう、そういう暗示みたいなの。僕にとってのアメリカの学校はボーディングハウスで一世達から話を聞く事でした。


寄宿舎 世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 日系アメリカ人 帰米 移住 (migration) 二世 戦後 第二次世界大戦

日付: 2012年1月31日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1929年、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。1931年、反日運動が盛んになる中、子どもの将来を心配した父が、家族全員で日本へ帰国すること決意。生後18ヶ月にして、日本へ渡る。1952年18歳の時、アメリカへ帰国。以来アメリカで生活を送る。現在はカリフォルニア州ローズミード在住。(2014年6月)

阪根 博

日本人としての強いアイデンティティ

天野博物館事務局長(1948年生)

ウィリアム・ホウリ

日本人ではなく日系人(英語)

政治活動家(1927-2010)

ジーン・玻満子・シュナイダー

アメリカへの移住して良かったこと

戦争花嫁(1925年生)

キャロウェイ・久松 照美

サンフランシスコで受けた差別

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

ウィリー・イトウ

両親(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ウィリー・イトウ

戦後の父の理容院(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

ファン・アルベルト・松本

父がアルゼンチンへ移住した理由

日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)

笠原 ハルオ

日本が恋しくて泣いた日々

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

笠原 ハルオ

大変だったプランテーションでの仕事

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

笠原 ハルオ

一日中子供を預けて仕事

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

笠原 ハルオ

真珠湾攻撃後のプランテーションの対応

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

カズム・ナガヌマ

親のペルーへの移住

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

二宮 正人

たわし工場労働者から洋服の仕立て屋へ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

二宮 正人

初期の日本人移民の職業

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

二宮 正人

移住当初も若干残っていた勝ち組

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)