Masaomi Ise

創刊20年となる殿堂入りメールマガジン『国際派日本人養成講座』編集長。いわゆる「クール・ジャパン」の草分け的存在として、明日の日本を背負う国際派日本人5万人を育てている。1953年東京生まれ。東京工業大学社会工学科卒。製造企業に就職。社員留学制度によりアメリカのカリフォルニア大学バークレー校に留学。工学修士、経営学修士(MBA)、経営学博士(Ph.D.)となる。社業のかたわら、日本国内の私立大学の商学部・工学部で非常勤講師として「産業界の偉人伝」を講義し人気を呼ぶ。2010年、海外子会社の社長としてヨーロッパ赴任。ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、ポーランド、モロッコなどを多数訪問。2014年、海外子会社の社長としてアメリカ赴任。現在も全米各地、カナダ、メキシコなどを飛び回っている。国民文化研究会会員。


(2017年7月 更新)

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異国に伸びた日本人の根っこ。ブラジル日系人、苦難と栄光の歴史 — その2

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勝ち組と負け組

1945年8月14日(時差により日本時間とは1日ずれる)、祖国敗戦の報がもたらされた。いつかは帰国すると願っていた移民たちにとって、敗戦は帰る場所が無くなってしまう事を意味した。

その心理的抵抗に加えて、「天皇の神聖な詔勅が、ポルトガル語で新聞にでたというのが、すでにおかしい」とか、「20万同胞の在住するブラジルに、正式な使節が派遣されないという理由はない」と多くの人々は考え、実は日本が勝ったという噂が広がった。移民の7、8割がこれを信ずる「勝ち組」に属した。

一方、移民社会のリーダーたちは、戦時中の検挙や資産差し押さえに懲りて、ブラジル政府を恐れ、敗戦を受け入れて ...

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異国に伸びた日本人の根っこ。ブラジル日系人、苦難と栄光の歴史 — その1

ブラジル日系移民、一世紀の苦闘

筆者がアメリカに留学していた時に、ブラジルから来た留学生から「ブラジルでは日系人は人口の1%しかいないのに、大学生は10%も占める」と聞いて、嬉しく思った事がある。

たとえばサンパウロ大学は、ブラジルのみならずラテンアメリカ世界での最難関大学であり、多くのブラジル大統領を出しているが、そこでの日系人学生は14%を占めている。

筆者が嬉しく思ったのは、日本人が優秀だ、という事ではない。ブラジルに移住した日本人も、親は子のために尽くし、子もその恩に応えて頑張る、という日本人らしさを発揮しているのだろうと想像したからだ。

私自身も一度、ブラジルに出張して仕事をした事があるが、多くの日系人社員が企業の幹部を務め ...

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