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ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~

最終回 ハワイ日系人の伝統文化と多様性

ハワイの日系人や日系社会について、私自身の実体験における「気づき」を、非常にゆっくりとしたペースで書き連ねてきたこのエッセイも、12回目の区切りを迎えることになった。

小学生の頃から20年、強烈な憧れを抱き続けていたハワイを初めて訪れたのが1996年の夏だった。自分の専門の多文化教育のメーリングリストから、ハワイ大学の日系人と思しき人を選んで連絡をしてみたら、すぐに返事が返ってきて教育学部のY先生を紹介してもらえることになった。

半信半疑のままハワイに向かったところ、とんとん拍子に話が進み、「ホノルルの向こう側」のK小学校で行われているハワイ大学の教育実習の見学に行くことになってしまった。

これが以降現在まで23年にわたるハワイ、そしてK小学校との付き合いのスタートである。


多様化と個人主義

第2回「オシャレをしてもお洒落ではない?」において、Mさんの忠告を紹介した。「『ハワイの日系人は多様だぞ。「ハワイの日系人は」とひとくくりにはできないよ。』このエッセイを引き受けるにあたり、まず最初に日系三世のMさんは真剣に忠告してくれた。さらにその多様性や多様化について、Mさんはいつもの丁寧な口調で語るのである。」と。

これをきっかけに、私はハワイ日系人の多様性について強く関心を持ち、年数回の滞在の際には注意深く人間関係を観察するようになった。

⽇系⼈,ポルトガル系,ハワイ系のオジサンバンド

第7回(前編)では、Mさんがボソッと口にした「日系人は一緒に生活できないんだよな」という呟きを取り上げた。もう少し聞いてみると、それはどうやら同居しない家族も顔の見える範囲に住んで楽しく毎日を送る、そのことができないという意味のようだった。「スープの冷めない距離」という表現があるが、日系人は親戚同士が近所に住むことが少ないようなのだ。私は四国の松山市の非常に古い集落に生まれ育ったので、周りは親戚だらけである。小さい頃、日中は母や祖母だけでなく近所の女性たちにも見守られていた。私が若い女性にではなく、オバチャンやオバーチャンに今でも非常にモテるのはそのためだと思う。そのような育てられ方をした私には、Mさんの言ったことがすぐには信じられなかった。

中国系や韓国系、フィリピン系などの民族と比較してみて、「(英語への)言語的同化」がハワイ日系人の「多様化や細分化」の大きな要因となっているのではないか、と仮説を立ててみた。民族の言語で日常生活を送ると同じ民族で集まって住むことを続ける、逆に言えば、同じ民族で住んでいると民族の言語が保たれる、そういう予測である。既に専門家による調査研究がありそうだがどうだろうか。

別の見方をしてみよう。日系人としてのアイデンティティよりも、共通文化としてのハワイ人アイデンティティのほうに重きを置くようになっているとする。そうすると、民族という枠組みはまとまりの単位としてあまり重要ではなくなる。その結果として日系人は多様化しているのかもしれない。混血も進んでいるし。


ハワイ日系人の共通性と伝統の継承

A先生がこのエッセイに初めて登場したのは、第3回の「Tシャツ」の回だった。スクールTシャツが学校でどのような役割を果たしているかについて、A先生の取り組みを紹介した。

彼女は私の研究のよき理解者であり、手持ちの資料や論文を用意して「これは参考になるはずだから持って行きなさい」と渡してくれたりもする。私の研究テーマで校内の教員研修を実施して、私を参加させてくれたこともある。そのような元全米優秀教師である。

今回この12回のエッセイを一旦まとめるにあたり、ハワイ日系人について彼女にもう一度話を聞いておきたいと考えた。そこで、今このエッセイを書いている1ヶ月半ほど前に、思い立って彼女に会いにハワイに出かけたのである。

半年ほど前にご主人を亡くし、さらに数日前に1歳上のお姉さんを亡くしたばかりだったが、いつもの快活なA先生が学校で待ってくれていた。今年73歳、友人のLさんも既に引退して、現役で活躍しているのは同級生では彼女だけだそうである。

A先⽣宅のラナイ(テラス)で朝⾷

今回は何をしに来たのか、日本の今はどうか、家族や親戚が日本に行ったがこんなことがあった等々、いつもの世間話を一通りした後、これまたいつものようにハワイの日系社会についての話になった。

彼女自身も含め日系人には教員になる者が少なくない。ハワイの教育のかなりの部分を、これまで日系人が担ってきたと言っても過言ではない。そうした伝統について、その日のお喋りは非常に弾んだのである。

ハワイで頻発する犯罪の話になった。日系人の犯罪はないわけではないが、他の民族との比較では発生率は非常に低いのだと。そしてその理由に話は及んだ。日系人は真面目だから。いや、そんな単純なことではないらしい。どの民族もその大多数は真面目なはずである。

彼女によれば “Everybody is involved with the family.” が理由なのだそうだ。つまり、日系人は家族との絆が強く、自分の行為が「○○家の恥」になりはしないかと常に考えるのだという。

私はここで、A先生のこの意見とMさんの指摘(「日系人は多様だぞ、一括りにはできないよ」)とが対立するような感じがした。今でもそのズレを解釈しきれていない。

興味深い展開になってきたので、もう少しA先生に突っ込んでみた。「ハワイの日系人はみんなそう考えるの?」と。

すると即座に「みんなそうよ」と返ってきた。「○○家の恥になるようなことは絶対にしない。こういう考え方は、日系人ならみんな共通に持っているはず。私たちの親(二世)の世代は間違いなくそうだったし、三世の私たちも、四世である子どもたちもみんなそう。」

さらに続けて喋ってくれたことが面白かった。「犯罪なんか犯してごらんなさい。それこそ一族の恥よ。親兄弟も親戚もみんな。そして先祖までも。全員の恥ということになるのよ。過去にさかのぼって一族の歴史が完全に否定されることになって、一切その地域で相手にされない一族になるのよ。」

話は止まらない。「Lは大きなFストアの姪としてこの街で育ったでしょう。父親は地域の有名な指導者だったし。彼女は小さい頃から社交的な模範生だったわね。M(Lさんの夫)だってそうでしょう。あんな働き者はいないし、極めて常識家だわね。みんな family のことを考えて育ったからよ。」

お⼟産は⽇系⽂化

このことは、第5回「失われつつあるのかもしれない日本的価値観 ― 変わりゆくハワイの文化 ―」で述べた、「『お天道様に見られて罰が当たる』と考える日本文化や日系文化」と同じ論理ではないか。モンスターペアレントや “entitled” な考え方(当然やってもらえる、と考える権利意識)を持つ保護者が増えて、地域の伝統文化や学校文化が破壊されつつあることに困り果てている日系人の姿をそこでは紹介した。道徳的に良いとされる古くからの価値観を、新しい時代においても維持したいと考えるのは自然なことである。

他の民族に較べて多様化と個人主義が早く進んでいる日系人にも、しっかりとした伝統の継承は続いているのである。

「ハワイの日系人は多様だぞ」というMさんの忠告に従って、どのように多様なのかに興味を抱き調べてみたところ、逆に日本古来の信念を守って代々生きてきた日系人の姿が見えてきた。多様性を探すことで、日系人の一般的共通性や伝統の継承をしている姿が浮き彫りになったということである。

ただ多様性そのものについては、12回のエッセイでは描き切ることができなかった。おそらく個別の具体的な事例を拾い上げて、その面白さや珍しさを取り上げる方法になるのだろう。エッセイのこの先があるならば、そこで紹介をしたいと思う。

 

© 2018 Seiji Kawasaki

diversiy hawaii tradition

Sobre esta série

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。