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日系アメリカ文学を読む

第18回 (最終回)『僕はアメリカ人のはずだった』

1952年生まれの日系アメリカ人3世の詩人、デイヴィッド・ムラは、自分がいったいなにものなのかという問いをずっと抱えてきた。自分を百パーセントアメリカ人と考えたことはなかった。

新宮(和歌山県)をルーツにする祖父母と高知をルーツにするもう一組の祖父母を持ち、父方の祖父は、日露戦争の徴兵を忌避してアメリカにやってきた。2世の父は、アメリカ人として育ち、戦時中は収容所に入れられるが、戦後はアメリカ社会のなかで成功する。その過程で、もともとはカツジ・ウエムラだった名前を、トム・ムラに変えた。完全なアメリカ人となるためでもある。

イリノイ州のユダヤ人が多いまちで育ち、大学卒業後はミネアポリスで暮らしてきたデイビッド・ムラにとって、幼いころから日系との関わりはほとんどなく、日本とのつながりもあえて拒否してきた。しかし、詩人としては強制収容所や被爆者など「日本」を登場させてきた彼は、心のどこかで日本に行くことを思い描いてきた。

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その彼が、1984年に米日作家交換留学制度によって初めて日本を訪れ、一年間白人の妻とともに東京で暮らした滞在記が『僕はアメリカ人のはずだった』(石田義彦訳、白艪舎、2003年)である。原題は『Turning Japanese』で1993年に出版され、アメリカでは「異文化の共存」や「アジア系アメリカ人」をテーマにした授業で、大学でも使われているという。


自分を知る内面の旅の記録

滞在記と言っても、異文化の世界を客観的にとらえてつづったものではない。日本で暮らし、さまざまな日本人と交流し、日本の社会・文化に触れることで、自分のなかの日本人性が呼び覚まされ、同時にアメリカ人であることも確認する。そして再び自分は何者で、何を求めているのかをさぐり続けるという、内面の旅の記録にもなっている。

アメリカという皮膚の色も髪の色も人種もさまざまな社会から、日本に足を踏み入れた直後に彼は言う。

「成田空港のターミナルをでたとき、ぼくは疲れていたが、気分は高揚していた。それと同時に、不安に襲われていた。ぼくは、税関の人間たちの顔がみな自分と似ていることに驚いた。」

東京・目白駅のそばにアパートを借りて暮らし始めた二人は、見るものすべてが珍しく、暮らしは、冒険の世界だった。人や町の観察力も鋭く、日本のファッションについては、「ニューヨークのようなほんとうの意味での贅沢さはないが、お洒落な人間は東京の方が多い」と感嘆する。

「晴れた日には通りのあちこちでフトンが干され、まるで正体を失った酔っぱらいがベランダからぶらさがっているように見えた」など、とらえ方もおもしろい。

彼は日本語はそれほど話せない。が、徐々に自分の中の日本人を意識し、それを大切なものだと思うようになる。街中で、外国人の友人は信号を無視して道路を渡るが、自分にはそれができない。妻のスージーは、路上でキスしてというが、アメリカにいるようにはできなくなる。

「スージーは白人で人目を引き、困ると誰かに助けを求められるが、ぼくは恥ずかしくてできなかった。体内に流れる血によって直感で判断できるはずだと考えていたからだ。」

留学プログラムの一環として、まず三浦朱門文化庁長官(当時)に会いに行くと、「広島と長崎への訪問はやめた方がいい」と言われる。これは事前に希望していたことでもあり、彼は呆然とする。だが、被爆者についての詩を書いた者として彼は結局広島も訪れる。

潜在的な日本人としての感覚を意識しはじめると同時に、アメリカ国内だけでなく、日本もアジアとの関係などで抱えてきた人種の問題や社会的な弱者と強者の問題に対して、以前から抱いていた関心が高まってくる。こうした活動にかかわる日本人とも親交を持ち、あるときは成田空港建設反対の現地闘争も見学する。

日ごろは、現代舞踏を習ったり能を学んだり、地方へも旅をしたりと精力的になにかを吸収しようとする。芸術家、学者、ビジネスマン、左翼運動家などさまざまな人間とつきあい、バーで酒を飲み、議論をする。入院中の円地文子を訪ねインタビューも試みる。

そのうち、ふと夜、アパートの近くセブン・イレブンにいるとき、「この国を離れたらどんなに淋しく思うだろうか、そして今自分がこの母親の子宮のような国、ぼくと同じ顔を持つ人間たちの世界で暮すことをどんなに楽しんでいるのか実感した」と言う。

こうして心が日本の中へ入り、物事を深く見ていくようになるが、その態度を白人である妻は心配する。彼が深くかかわる日本的な世界から自分は仲間外れになった気がして、二人してアメリカに戻れなくなるのではないかと不安になる。この点では、彼女がマイノリティーとしての疎外感を味わっていることになる。


日本で、向かい合う日系人親子  

日本に滞在中、これまで自分たちの文化的背景を探し求めることに興味をもっていなかった両親が日本を訪れることになる。2世としてアメリカ人として生き、社会的な地位を確立してきた父と彼との間には、価値観の違う親子間の確執があった。

それがいったいどんなものなのか語られているが、彼には、両親が過去を語ることを拒否していると見え、それが不満だった。しかし、純粋に日本的な環境のなかで初めて両親をみると、これまでとは違ったように見えたという。彼らの生き方にもそれなりの理由があったということを感じたのかもしれない。

彼は、日本にいるとき、アメリカでは感じることができなかった故郷にいるような気持ちを味わったことを帰国してから思い出す。初めて見て、暮らしてみた土地なのに、故郷だと感じた、ということはどういうことなのか。故郷という限りは、懐かしさや安らぎがこもっているのだろう。

日本人としてこの国にずっといると、故郷だと感じさせるものがなんなのか、あえて考えることがないかもしれない。それだけに、日本とわずかなつながりしか持たない彼が、日本を見てそんなふうに感じたことを、ひとりの日本人として喜んで受け止めたい。

(敬称略)

 

© 2017 Ryusuke Kawai

david mura identity sansei Turning Japanese

Sobre esta série

日系アメリカ人による小説をはじめ、日系アメリカ社会を捉えた作品、あるいは日本人による日系アメリカを舞台にした作品など、日本とアメリカを交差する文学作品を読み、日系の歴史を振り返りながらその魅力や意義を探る。