ヤマ: ブラジルの日系コミュニティ (人間性を育てる日々の生活に感謝するコミュニティ)
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ヤマ・プロジェクトはコミュニダージユバ(ユバコミュニティ)として知られるブラジルの芸術・農業コミュニティのドキュメンタリープロジェクト。サンパウロ州の西に位置するこのユバ農場、人口は約70人くらい、4世の新生児から90歳代の一世移民までが生活を共にしている。毎年行われているクリスマスパフォーマンスや、モダンダンスグループは有名で、多くの人々がこのユバコミュニティを訪れる。
ヴァージニア州シャーロットビルの写真家スコット・スミスとヴァージニア州レキシントンの作家ジャネット・イケダとの共同プロジェクト。二人が弓場農場を初めて訪れたのは2002年12月。イケダとスミスは、映像と農場の人々の声そして文章を通して、弓場コミュニティの姿を映し出す。
写真キャプション訳:師岡真由美
ヤマ・プロジェクトについて>>
YAMA: A Nikkei Community in Brazil by Janet Ikeda (英語のみ)>>"
ユバ農場ホームページ: http://brasil-ya.com/yuba/index.html
Slides in this album |
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“山”の文字を書いている明子バレリーナである小原明子と芸術家の夫は、弓場に乞われて農場に参加するため、1961年に日本からブラジルに向けて旅立った。彼らが到着したのは、クリスマスの2週間前のことだった。
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舞台裏毎年恒例の劇に備えて、本番のためのリハーサル。自分に割り当てられた役の衣装を身に着けること、それは大人への入り口をまたぐこと。 |
バレーの稽古山の子供達全てが、様々な年齢層からなるバレー団の一員なのだ。兄弟姉妹、息子や娘達が、母親や従兄弟、おばさんやおじさん達と並んで踊っている。 |
たきぎ集め木肌のすべすべとしたグアバの丸木が集められ、農場の中央に運ばれてくる。今晩は大釜(大なべ)の乗った台所のかまどに火を入れて、どんどんまきがくべられる。残った木は、晩のお風呂を沸かすのに使われる。 |
数を数える稽古母親達が仕事に出かける時は、赤ん坊を食堂のベビーサークルの中へ置いて行く。たくさんの母親代わりの人たちが、彼らを一日中遊ばせたり、おむつを替えたり顔を拭いてあげたりしながら、山の一員であるために必要な全てのことを教える。 |
マンゴーとグアバの収穫子供達は農場の立派な働き手なのだ。夜になると、良香や他の女の子達は体にぴったりとしたレオタードをはいて、ダンススタジオの木の床を雑巾掛けする。
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矢崎 勇創設者・弓場勇は彼が生きる指針とした、畑を耕し、日常生活を大切にし、日々芸術活動を実践することを村の人々にも求めた。畑仕事に向かうトラックの荷台に乗りながら、もう一人の勇はしばし思索に耽っている。 |
勝重の仕事場これは創設者・弓場勇の娘の一人である勝重の仕事場。農場のあちこちから拾って来た廃材を利用して自分の手で建てた。彼女は石や鳥の羽根などのコレクションに囲まれて、絵を描いたり、子供達のためのお話を書く。 |
勤ちゃん箕輪謹助(1909ー2003)はヤマの生活に惚れた人だった。彼は2003年1月に93歳で亡くなった。これは彼を写した最後の写真。 |
熊さん共同体の多くの人々がニックネームで呼ばれる。滝本克夫はいつも“熊さん”とよばれて来た。いつも孤高の雰囲気を漂わせ、ずっと独り者を貫いて、グアバ畑 の端にある小屋に住んでいる。彼はたくさんの劇に出演し、生真面目に自分の台詞を憶えることで知られている。去年はディケンズの日本語版クリスマスキャロ ルの中で、とても悔やんでいる様子のマコーレーを好演した。 |
乳搾り昼寝の後のコーヒータイムに皆が食堂に集まる。ミルクコーヒーを入れるため、いつも大きなポットにミルクが温められている。ある独身男性は、乳牛の小さな群れから目を離さない。 |
新年の餅つき日本では、ねばねばするまでうち砕いた米、いわゆる餅を食べる事で始まる。それは新年を祝うために無くては成らない行事なのだ。弓場農場には、餅のつき手 がたくさんいるので、皆で順に餅をつく。つきたての餅にしょうが醤油をつけて、あっという間に食べてしまう人達もいれば、出来上がった餅を別々のケースに 詰めている人達もいる。ビールの空き瓶を麺棒代わりにして中の空気を押し出してのし餅にし、友人や親戚への贈り物として振り分ける。 |
黙祷山では各人が何かをしようとすまいとそれは自由だ。誰もが田を耕し、芸術活動をせねばならないといった規則は何も無い。一人ひとりが、共同体の中で自分自 身に最もふさわしい場を見つけるよう奨励される。料理の腕前を発揮する人もいれば、勉強を教えたり踊りの振り付けをする人もいる。郵便物や文書を担当する 人が一人いて、農場の郵便物を管理している。けれども、食事時には全ての人々が食堂に集まり、食前の祈りを捧げる。弓場は、常に天を敬い、喜びと感謝の気 持ちを抱きつつ平凡な日常生活を慈しむよう説いた。殆どの共同体のメンバーが外から戻り、食事の席に着くとすぐに、男性の長老が必ず“黙祷”と、大きな声 で号令をかける。それは皆で静かに祈りを捧げる合図なのだ。畑仕事から遅れて戻った人々は、そっと立ち止まり目を閉じる。よちよち歩きの子供達も、つかの 間の静けさの中にじっと佇む。 |
オーケストラのリハーサル楽器の多くは農場で制作される。衣装や舞台装置のデザイン同様、弓場農場の舞台活動は長年に亘って伝え培われてきた職人芸によってもたらされた未来に続く生活である。 |
グアバの木の枝打ち赤ん坊たちは、立っちができて仲間のあとをついて歩く事が出来るようになるまでは、ひんやりとしたタイルの上をはいはいしたり、ふんわりと暖かな砂の上でよちよちと動き回る。 |
椎茸のテント種々雑多なものが織りなす風景は、農場のあちこちで見られる。 |
弦楽器のワークショップ彼は道具をしまえる場所さえあれば、何処へなりと作業場を移動する。2000年には、バイオリンを弾く子は一人いるだけだったが、現在は15人の子供達がオーケストラに入っている。 |
高山とトラクター1970年代に日本の農業大学の学生だった高山輝男はブラジルを訪れた。彼は農場の女性と結婚し、2人の子共を儲け、そのままヤマの生活に溶け込んでいった。彼は主に、有機栽培野菜の管理を任されている。 |
弓場劇場毎年恒例のクリスマスの催し物には、とても多くの友人や近所の人々、親戚が集まって来る。催し物は全て無料で一般に公開される。外には予備の長椅子がしつ らえられて、千人程の観客を収容することができる。劇場の外見は素朴だが、中には30フィートの舞台を始め、照明ブース、音響システム、衣装部屋、更衣室 などがある。 |
麦ワラ帽をかぶった女性絢には12人の孫がいて、彼女が家で自分に分担された仕事をしていると、代わるがわる駆け込んで来る子やら、駆け出して行く子がいて、その度仕事の手が止まる。彼女が夢中になっているのは、俳句を詠むこと。
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