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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その6/8
その5>>かつて日系人の文学は短詩形文学中心であったことから、この『ポストン文藝』の中の短詩形文学作品の数はたいへん多い。
詩の分野では第一に外川明の名をあげることができる。彼は1903年、山梨県南…
篠田 左多江 • 2011年8月5日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その5/8
その4>>木内春波(貞勝)の「おもかげ」(45年7、8月号)は、初恋に破れて転落の人生を送った男が老人となって収容所の病院で死の床に横たわるとき、優しい看護婦に出あう。それはかつての恋人の娘だと分か…
篠田 左多江 • 2011年7月29日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その4/8
その3>>発行部数を完全に把握することはできないが、44年7月号が600部、1年後の45年7月号が1,000部という記録がある。多くの熱心な読者をもつ『鉄柵』でも発行部数は800部であったから、『ポ…
篠田 左多江 • 2011年7月22日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その3/8
その2>>2.『ポストン文藝』の創刊と目的ポストンで最初に文学活動を開始したのは「ポストン歌会」で、1942年9月に第1回歌会が開かれたという記録がある。開所当時は印刷物の配布が禁止されていたため、…
篠田 左多江 • 2011年7月15日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その2/8
その1>>しかし収容者は協力してこの不毛の地を次第に人の住まいらしく変えていった。
まず人びとがしたことは、砂塵を防ぐための植樹であった。砂漠に生えているコットンウッドや柳の一種は厳しい環境に耐える…
篠田 左多江 • 2011年7月8日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その1/8
ポストン収容所(以下ポストンとする)では二つの文芸雑誌、『ポストン文藝』および『もはべ』が発行された。前者はポストン文芸協会により1943年2月、後者はポストン・ペンクラブによって3月に相次いで創刊…
篠田 左多江 • 2011年7月1日
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『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その6/6
>>その54.『鉄柵』の特色と果たした役割『鉄柵』の特色は、第一に一世の指導の下に創られた帰米二世の文学同人誌であること。加川文一、泊良彦など戦前から詩人や歌人として評価を得ている一世が指導的立場に…
篠田 左多江 • 2011年5月20日
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『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その5/6
>>その4井阿之雨という変ったペンネームで書いているのは、戦後長い間ロサンジェルスの日系新聞『羅府新報』の編集長を勤めた帰米二世の矢野喜代士である。矢野の戦前のペンネームは創刊号で使っている丸山定夫…
篠田 左多江 • 2011年5月13日
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一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924- その19
>>その18一世コミュニティーハワイにおいてもアメリカ本土においても、一世は独自の病院、教会、新聞、その他様々な社会 文化 経済の団体を組織していた。彼らは、私たちのコミュニティーに安らぎと友情を見…
アケミ・キクムラ・ヤノ • 2011年5月9日
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『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その4/6
>>その3編集者のひとり河合一夫は、樋江井良二のペンネームで書いている。彼はたいへんな文学青年で、岩波文庫をほとんど全巻揃えて収容所へ持ってきたほどの読書家だったという。
詩は「君が像を彫れり」(創…
篠田 左多江 • 2011年5月6日