Yasukara Hayashida

オズワルド・ハヤシダさんとテレサ・オリベルさんの長女として、1969年9月2日にリベラルタで生まれる。妹3人と弟2人の6人兄弟の一番上。祖父の林田両太郎さんは熊本県あかた群の出身で、1908年にペルーへ渡った後、1910年にリベラルタに定住した。祖父のベナンシア・オヨラさんはリベラルタ出身。ハヤシダ家は祖父の代から数えて100年まえからリベラルタに根を下ろしている。

(2010年12月 更新)

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アンデスを超えたニッポン人

タイムスリップ・リベラルタ 1999年 -日系3世に生まれて- その2

>> その1

ところで私の祖父林田両太郎は、1908年4月7日に、第5回航海船「厳島丸」で横浜港を出発しました。当時、22歳という若さでした。5月21日にペルーのカリャオ港に到着し、オルヤで汽車を降りた後、徒歩でチャンチャマヨのナランハル耕地へ向いました。

その頃、アマゾン川流域は空前のゴム景気にわき、ペルー移住者の多くはアンデス山脈を超えてボリビアに向いました。しかし日本とボリビアの通商条約締結前であったので、日本政府の保護などはなく、日本人たちは丸裸同然の状態で入国したのです。祖父もその後リベラルタに再移住しました。私は、祖父をはじめとする当時の移住者の方々は大変だったであろうと思いました。今でこそいろいろな情報がありますが、その頃はアンデス山脈を超えてアマゾン川流域に向かうにしても、リベラルタの町についても、何もしらなかったのですから。祖父が再移住したリベララルタは ...

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アンデスを超えたニッポン人

タイムスリップ・リベラルタ 1999年 -日系3世に生まれて- その1

私は日本人を祖父に持つ日系3世のボリビア人です。しかし18歳になるまで、日本語や日本文化を学ぶことはありませんでした。父は、日系2世でしたが、父も私もボリビアで生まれ、教育もボリビア人として受けました。

そのような環境で育った私ですが、幼い頃からなんとなく日本語に興味があり、学んでみたいと思っていました。しかし母に反対されて、ボリビア日本文化センターの日本語教室に通うことはできませんでした。18歳になったとき、ようやく日本語教室に通う機会を得ることができました。この日本語教室は強制ではなく、興味のある人が参加する形のものでした。その2年後、私は文化センターの会長から、日本語教室で日本語を教えている青年海外協力隊の先生の助手として生徒の勉強をみてくれないかと頼まれ、教壇に立つことになりました。私は大学へ通いながら、日本語教室の助手を勤めるという二足のわらじをはくことになったのです。それまでは私の生活のなかで日本人と接する機会はありませんでした。しかし接してみると、私のなかで眠っていた何かが目覚めたかのように ...

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