アンデスを超えたニッポン人

歩いてアンデス山脈を超え、アマゾン源流をカヌーで下りボリビアに入国。寒さと暑さの両極端による病気やジャングルの猛獣に怯えながらの地獄の旅であり、この旅をした人々は後に「ペルー下り」と呼ばれた。100人ほどの「ペルー下り」が、ボリビアのリベラルタに漂着した当時、その人口は3000人に満たなかった。それから100年が経過したいま、10万人を超える街になった。

このコラムでは、JICA隊員によるブログ「アンデスを越えたニッポン人」に紹介されたリベラルタの日系人の話を紹介します。

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リベラルタのニッポン人 (4) -麻生 直衡-

43歳。沖縄県出身。

那覇市在住の頃、友人であるペルー出身の日系家族と共にボランティアグループに参加していたときに、偶然何かで「リベラルタの沖縄出身日系人が、沖縄のことをしりたがっている。」という記事を見た。

それなら自分も役にたてるかもしれないと思った。

これがリベラルタを知るきっかけだった。

* * *

ボランティア活動を通して知り合ったボリビア人が帰国したのを機に、自身もボリビアを初めて訪れた。

その後、日本語教育の勉強をしたのち、2004年から2006年にかけて、日系社会青年ボランティアとしてラパス日本語学校の日本語教師となった。ラパスでの2年間が初めての教師経験だった。この間、初めてボリビア北部のリベラルタを訪れる機会があった。

2年間のボランティア活動のあと、荷物をボリビアに置いたまま、日本へ一時帰国した。

ボリビアに戻ったあと、サンタクルス日本語学校で7ヶ月間働いた。その後 ...

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タイムスリップ・リベラルタ 1999年 -日系3世に生まれて- その2

>> その1

ところで私の祖父林田両太郎は、1908年4月7日に、第5回航海船「厳島丸」で横浜港を出発しました。当時、22歳という若さでした。5月21日にペルーのカリャオ港に到着し、オルヤで汽車を降りた後、徒歩でチャンチャマヨのナランハル耕地へ向いました。

その頃、アマゾン川流域は空前のゴム景気にわき、ペルー移住者の多くはアンデス山脈を超えてボリビアに向いました。しかし日本とボリビアの通商条約締結前であったので、日本政府の保護などはなく、日本人たちは丸裸同然の状態で入国したのです。祖父もその後リベラルタに再移住しました。私は、祖父をはじめとする当時の移住者の方々は大変だったであろうと思いました。今でこそいろいろな情報がありますが、その頃はアンデス山脈を超えてアマゾン川流域に向かうにしても、リベラルタの町についても、何もしらなかったのですから。祖父が再移住したリベララルタは ...

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タイムスリップ・リベラルタ 1999年 -日系3世に生まれて- その1

私は日本人を祖父に持つ日系3世のボリビア人です。しかし18歳になるまで、日本語や日本文化を学ぶことはありませんでした。父は、日系2世でしたが、父も私もボリビアで生まれ、教育もボリビア人として受けました。

そのような環境で育った私ですが、幼い頃からなんとなく日本語に興味があり、学んでみたいと思っていました。しかし母に反対されて、ボリビア日本文化センターの日本語教室に通うことはできませんでした。18歳になったとき、ようやく日本語教室に通う機会を得ることができました。この日本語教室は強制ではなく、興味のある人が参加する形のものでした。その2年後、私は文化センターの会長から、日本語教室で日本語を教えている青年海外協力隊の先生の助手として生徒の勉強をみてくれないかと頼まれ、教壇に立つことになりました。私は大学へ通いながら、日本語教室の助手を勤めるという二足のわらじをはくことになったのです。それまでは私の生活のなかで日本人と接する機会はありませんでした。しかし接してみると、私のなかで眠っていた何かが目覚めたかのように ...

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リベラルタのニッポン人 (3) -義元 徳憲-

73歳。沖縄県出身。

1961年リベラルタに入る。当時23歳。
日本から船に乗りブラジルへ。そこから汽車でボリビアサンタクルスへ。
ちょうどボリビア独立記念日と重なり、2週間サンタクルスに滞在の後リベラルタへ。
父、母、妹の4人で入った。当時は思っていたのとあまりに違ったのでとても悔しかった。

ゴム景気によって沢山の外国人がやってきた。日本人も例外ではなくその頃5000人程の日系人がおり、一番多いころで日本人は600人いた。1980年頃からはゴム景気も下降し、入ってくる外国人も減ってきた。

リベラルタには「沖縄支部」と「鹿児島支部」の日本人会があった。

1985年頃、日本からリベラルタ日本人人口調査団が来た。

日本では歯科技工士をしていた ...

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リベラルタのニッポン人 (2) -義元 富子-

70歳。沖縄県出身。

1961年、叔母の呼び寄せによりリベラルタに入る。(叔母の夫はペルー下り。この時、既に他界しており、叔母は一人でリベラルタに居た。)
父、母、兄、本人の4人。
当時20歳。

飛行機でリベラルタへ。
空港に着くなり、歩いても、歩いても街が見えてこない。

白いワンピースが汚れ、ハイヒールが泥だらけになったころ、「Plaza(広場)はどこですか」と尋ねたところ「今あなたが居る場所がPlaza(広場 ...

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