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ボリビア・サンタクルスの「盆踊り祭り」

日本人・日系人の団体において、婦人方の存在と彼女たちが担ってきた役割は計りしれない。「内助の功」という言葉どおり団体の活動を支えている。

サンタクルス中央日本人会においても、その例にもれない。団体は1956年に創立されたものの、婦人会は9年後の1965年に結成されている。しかし、婦人会が日本人会の活動を活発にして、敬老会・母の日・老人ホームへの慰問などの行事を組織し、現在に至るまで継続されている。

日本人会の恒例行事のひとつである「盆踊り」が、現地社会に知れ渡るようになった経緯を紹介したい。

 
なにごともリーダーシップ、統率をはかる人物のもとに人が集まり、一つの会が結成される。サンタクルスの場合、横山領事(日本国初代領事)夫人のお茶会開催の呼びかけに市内在住の婦人たちが集まり、さまざまな意見やアイディアが挙げられ、参加者の賛同を得て活動を開始した。この婦人会のメンバーはサンタクルス在住で現地の社会を知る二世と、オキナワ・サンファン移住地から市内へと住居を移し、日本の生活一般のノウハウを持った一世の婦人たち、総勢50人ほどの結束を以て構成され、活動を開始した。

1965年当時のサンタクルス市の人口は10万人前後で、電気水道の供給を受けていた市民は人口の半分に過ぎなく、市内は未舗装で雨季にはぬかるんでいた。市内状況がこれなら国道はいざ知らず、輸入に頼っていた日本食品は到着までに時間を要したため、海苔・梅干・海産品(乾物)等は貴重品であった。味噌醤油は各家庭自作、日本野菜(白菜、大根、ゴボウ、しょうがなど)は稀だが、幾人かが栽培して市場へ出荷していた。すべてが手作りのなか各班で協力し合って、もち、まんじゅう、巻きずし、かまぼこ、漬物などを作って初めての「敬老会」を開催している。組織したのは料理ばかりでなく余興(日本舞踊、手品、寸劇等)も自前で企画し、敬老者に喜ばれたことが記録に残っている。

自作の巻きずしなどを吟味する初期の婦人会   

結成当初に始めた行事活動は、年を追うごとに継続され、現在へと維持されている。活動の大半が屋内行事であったが、1972年に屋外行事として盆踊りが行われている。70年代は年によって開催されたりされなかったりしているが、80年代からは年中行事として日本人・日系人社会が集まる催し物のひとつになっている。広場中央に紅白の幕で囲んだやぐらと太鼓を設置し、音楽に合わせて太鼓をたたき「炭坑節」、「河内音頭」、「八木節」などを輪になって踊る光景は現在でも変わらない。

盆踊りに自前の浴衣で参加

なお、婦人会は80年代前半に婦人部と改めて日本人会の活動に参加している。サンタクルス県の日本人・日系人三大拠点はサンタクルス市、オキナワ移住地、サンファン移住地である。各地域には独自の行事が存在するため、各団体のイベントは期日がかち合わないように気を使いあう。サンタクルスの盆踊りは日本の暦に合わせて8月に行っていたが、各地域の行事都合のため9月へとずらし、現在は10月の最終週末に行っている。南半球では10月は初春を迎えているものの、初夏の気候であるため日本の8月のようで、また数日後にお盆の本来の意味合いである死者の日(11月2日)の慰霊祭を控えているので違和感はない。

祭りのメインは盆踊りであるが、婦人部や各愛好会が用意するうどん、やきそば、巻きずし、お好み焼き、串焼きなどの食事やビール、酒などの飲み物、また子供の金魚すくい、お菓子、アクセサリー、おみやげなどの出店を目的として人々が集まっている。

盆踊りは市内在住日本人・日系人を対象に開催されていたが、他の観客を排除する訳でもなく、広場でオープンに行って来たため、特に1990年代後半からは、参加した地元の人々から口伝で評判が伝わって、次第に名前が知られるようになっていった。新世紀を迎えるにあたり、盆踊りをサンタクルス市民にアピールしようと、2000年から「日本郷土料理と踊り・盆踊り祭り」として、日本人会会館前の道路を閉鎖して行ったところ、2000人前後の観客で埋まり好評を博したため、以後この名称で毎年開催している。

2008年3月、サンタクルス市庁文化部はサンタクルス中央日本人会へひとつのオファーを提示した:「サンタクルスには古くからヨーロッパ、アジアや周辺諸国の人々が定住していて、現地と融合した生活を営んでいる。また独自の文化が維持されており、これらの異なった文化を一般市民に紹介することを企画している。そこで、サンタクルス中央日本人会が毎年開催している盆踊り祭りを日本国の文化紹介として、市内中央広場で開催いただきたい」と招待した。

盆踊り前の「花笠音頭」披露

このオファーに、日本人会内の武術や舞踊などの愛好会を組織する若い世代が、「日本文化を市内中央で行うのは初めてのことだ。この機会にぜひサンタクルス市民へ我々の文化を披露したい」と前向きな姿勢を示し、市内中央広場のマンサーナ・ウノで11月15日(土)に開催することを決定した。

開催の3ヶ月前から実行委員会を構成して準備をすすめ、開催を迎えた。当日は恵まれた天候の中、広場に設置したやぐらの太鼓が夜空に響き、午後7時に開幕した。広場の一角には各種の露店が設置され、うどん、やきそば、寿司、菓子類、酒、民芸品、金魚すくいなどが飛ぶように売れた。次第に広場を埋め尽くしていく観客は5千人を数え、立ち見の中、津軽三味線、コーラス、和太鼓、空手演武、ヨサコイソーラン、琉球國祭り太鼓のエイサーの演舞に引き込まれていった。そして、クライマックスの盆踊りには色とりどりのゆかたや、アニメファンのコスプレ、そして祭りの夕べに魅了された一般観客が輪に加わって踊りをくり返し、盛況なうちに終了した。

「琉球國祭り太鼓」の演舞

サンタクルス市庁文化部は「文化催しはペルーに始まり、ブラジル、ハンガリーと続き、日本がトリをあざやかに演出して一番盛大であった」との評価を与えていただいた。

盆踊り祭りは、若い世代が受け継いだ日本の文化を披露する意欲に燃えたことが成功につながった。そして、最大の成果は日本のアイデンティティーを参加者全員で確認することができたことである。2008年度の盆踊り祭りは日本人会最高の行事であった。

観客も参加してフィナーレを迎える

© 2009 Takashi Aniya

Bolivia community festival obon santa cruz