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第3回 若次のレガシー
その2を読む >>
ルポルタージュか芸術か
若次は、個人のポートレート、パレードや文化行事などの記録写真のほか、結婚式、クラブでの式典、卒業式などの記念写真を数多く撮影した。また、かなりの数の広…
デニス・リード • 2022年10月3日
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第2回 松本若次の写真
その1を読む >>
妻のテエが農業経営を管理してくれていたので、若次は自分の可能性を追求し、最初は通信教育で写真を学んだ。若次の家に伝えられている話によると、若次は写真をより深く写真を学ぶため…
デニス・リード • 2022年9月26日
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松本若次:2つの世界を生きた芸術家
私の祖父、松本若次は外国に住む父を手伝うために太平洋を渡り、芸術家となって祖国日本に帰国した。彼はカリフォルニア州ロサンゼルスと日本の広島という2つの世界に生きた日本人写真家だった。若次の写真は…
カレン・マツモト • 2022年9月20日
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第1回 若次の旅立ち
松本若次は日本からハワイへ、そしてカナダやアメリカ西海岸へと渡ってきた多くの若者たち(その多くが10代)と同じだった。1906年、17歳の時に初めてバンクーバーに降り立ち、その後、ほとんど面識の…
デニス・リード • 2022年9月19日
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第 1 章 (第 7 部): 日本の庭園デザイナー、家事労働者、そして彼らの「親日派」雇用主 - リバーバンクの日本人庭師、小林進と料理人、ジョージ・マツモト・ジュンジ
第1章(パート6)を読む>>大塚太郎がリバーバンクを去った後、オスカー・ススム・コバヤシという別の日本人庭師が、1910年頃にジョージ・ファビアンのために大塚が造った庭の維持管理を引き継…
デイ 多佳子 • 2022年7月17日
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第 1 章 (第 6 部): 日本の庭園デザイナー、家事労働者、そして「親日派」の雇用主 - シカゴからニューヨークへ移った大塚太郎
第1章(パート5)を読む>> 1921年、大塚は丸山の次の事業移転に続いてノースミシガンアベニュー216番地に移転したが、 2新しい場所は「(サウスミシガンアベニュー300番地よりも)あ…
デイ 多佳子 • 2022年7月10日
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第 1 章 (パート 4): 日本の庭園デザイナー、家事労働者、そして彼らの「親日派」雇用主 - イリノイ州ジュネーバの「名誉日本領事」ジョージ ファビアン
第1章(パート3)を読む>> 20世紀初頭、シカゴの西40マイル、フォックス川沿いの町ジュネーブに、もう一人の「著名な資本家」 1がいた。彼は自分の別荘で日本人家政婦を雇用していた。彼…
デイ 多佳子 • 2022年6月26日
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1963年渡米、2018年に日本へ 再び帰米予定の白澤誠さん
渡米のきっかけは『なんでも見てやろう』
白澤誠さんは、過去、ロサンゼルスのダウンタウンに本部がある南加庭園業連盟の活動に積極的に取り組んでいた。同連盟主催の家庭菜園の講義を、7年間受け…
福田 恵子 • 2022年5月30日