ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/series/wakaji-matsumoto/

2つの世界:松本若次の生涯と写真


2022年9月19日 - 2022年10月3日

このシリーズは、ロサンゼルスの農家から写真家に転身し、戦前の広島で活躍した松本若次の生涯に光を当てる。彼の貴重な写真にはロサンゼルス地域に住んでいた日系アメリカ人農家の姿、ロサンゼルスのリトル東京で行われた行事、そして1945年の原爆投下前の広島市内の生活の様子がとらえられている。芸術性とドキュメンタリー性を兼ね備えた若次の写真には、両都市の一連のパノラマ写真も含まれている。

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この2本のエッセイは、全米日系人博物館のオンライン展示「松本若次:二つの世界を生きた芸術家 ロサンゼルスと広島、1917〜1944」に合わせて、キュレーターのデニス·リードと若次の孫娘に当たるカレン松本が寄稿したものである。デニスのエッセイは3回にわたって掲載する。

オンライン展示サイト:janm.org/ja/exhibits/wakaji-matsumoto.

*写真はすべて松本若次撮影(著作権:松本ファミリー)



このシリーズのストーリー

第3回 若次のレガシー

2022年10月3日 • デニス・リード

その2を読む >> ルポルタージュか芸術か 若次は、個人のポートレート、パレードや文化行事などの記録写真のほか、結婚式、クラブでの式典、卒業式などの記念写真を数多く撮影した。また、かなりの数の広告写真も手掛け、軍隊の活動記録の撮影を依頼されることもあった。 若次の写真活動は多岐にわたる。例えば1929年には、全国大会で優勝した広島商業高校の野球部の凱旋を出迎える広島市民の様子を写真に収めた。1936年には、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム、広島平和記念資料館)で行わ…

第2回 松本若次の写真

2022年9月26日 • デニス・リード

その1を読む >> 妻のテエが農業経営を管理してくれていたので、若次は自分の可能性を追求し、最初は通信教育で写真を学んだ。若次の家に伝えられている話によると、若次は写真をより深く写真を学ぶため、一時期サンディエゴに引っ越した。ロンドンとパリで写真を学んだ写真家の下津佐正志が、1919年にサンディエゴでスタジオを開き、その後に写真学校を開いていたので、若次は彼に師事した可能性がある1。パノラマ写真は下津佐が得意とする分野でもあり、若次はパノラマ写真の撮影方法を彼から学ん…

松本若次:2つの世界を生きた芸術家

2022年9月20日 • カレン・マツモト

私の祖父、松本若次は外国に住む父を手伝うために太平洋を渡り、芸術家となって祖国日本に帰国した。彼はカリフォルニア州ロサンゼルスと日本の広島という2つの世界に生きた日本人写真家だった。若次の写真は1900年初頭にロサンゼルスの農村で生活する日本人移民労働者たちの様子や、広島の人々の日常の生活や行事を生き生きと写し出している。 若次は、ロサンゼルスで農業をするかたわら写真について勉強し、ロサンゼルスにあった日本人カメラクラブで積極的に活動をした。またピクトリアリズム運動(…

第1回 若次の旅立ち

2022年9月19日 • デニス・リード

松本若次は日本からハワイへ、そしてカナダやアメリカ西海岸へと渡ってきた多くの若者たち(その多くが10代)と同じだった。1906年、17歳の時に初めてバンクーバーに降り立ち、その後、ほとんど面識のなかった父親をたずねて汽車でロサンゼルスに向かった。 1892年頃、若次の父若松と母ハルはハワイに移住することになり、幼かった若次は日本の親戚に預けられた。もともと若松は漁師を生業としていたが、自宅の隣で小さな畑も営んでいた。若松は、日本の新聞に掲載されていたハワイのパイナップ…

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このシリーズの執筆者

松本若次の孫娘であるカレン松本はプロジェクトリエゾン(調整役)として「松本若次:2つの世界を生きた芸術家」に関わっている。教育者の職を引退しワシントン州在住。現在は社会および環境権利侵害の問題に取り組む。ベインブリッジ島日系アメリカ人コミュニティー理事。第2次世界大戦中に強制収容所に送られた日系アメリカ人の体験に関するビデオドキュメンタリーやカリキュラムを共同制作する。また、サンフランシスコの日系アメリカ人歴史協会で、国立公園局の教師向けワークショップや夏期研修会の指導主事を務める。

2013年に制作されたカレンの父についてのドキュメンタリー映画「名誉と犠牲:ロイ松本の物語」ではエグゼクティブ・プロデューサーを務めた。この映画では、米国で初めて公開された松本若次の写真が使用されており、若次の写真コレクションをより多くの人々に紹介するきっかけとなった。

(2022年9月 更新)


デニス・リードはキュレーター、収集家、芸術家そして作家である。戦時中に日系人が強制収容されたことにより、大部分が失われた日系人写真家の作品を再発見したことで知られる。これまでにホイットニー美術館、ハンティントンライブラリー、オークランド博物館、コーコラン美術館、中国歴史協会(サンフランシスコ)、カリフォルニア写真博物館、全米日系人博物館など、大小合わせて50以上の展覧会を企画した。代表的な著書に『Pictorialism in California, 1900-1940』(ゲッティ美術館およびハンティントンライブラリー)、『Japanese Photography in America, 1920-1940』(日米文化会館)『Making Waves: Japanese American Photography, 1920-1940』(全米日系人博物館)など。ロサンゼルス・バレー・カレッジの芸術学部の元学部長。ロサンゼルス・カウンティー美術館(LACMA)の写真芸術評議会の元議長。

(2022年9月 更新)