ディスカバー・ニッケイ

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福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

@fukuda

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)


この執筆者によるストーリー

シニア世代の新一世によるチャランポランの会

2021年3月8日 • 福田 恵子

「何かやらなくちゃいけない」 ある時、元広告代理店の社長だった宮田慎也さんという知り合いがSNSにシニア向けの日本語媒体を投稿した。それは、彼も所属する「チャランポランの会」という、主にロサンゼルス在住のシニアの新一世たちが中心メンバーとなり立ち上げた団体の会報誌『かわら版』だった。オンライン版を覗くと、エッセイあり、川柳あり、レストランのコラムありと非常に充実した内容。すぐにこの会に興味が湧いた。そこで宮田さんにお願いして、同会の発起人である鳥居欣一さん、そして鶴亀…

紆余曲折の末、リージョナル航空の機長になった藤田尚弥さん

2021年2月9日 • 福田 恵子

30歳を前に家族連れで航空留学 「もし、あの時決断していなかったら、今でも日本の空を飛ぶ飛行機を見上げて『あの時やってたら今頃あそこにいたかもなあ…』と心の中でつぶやいていたと思います」と話すのは、アメリカのリージョナル航空会社、スカイウエストエアラインズで機長を務める藤田尚弥さんだ。シニョリティー(社歴)が人事判断の基準となるアメリカの航空会社だが、藤田さんの同社でのシニョリティーの順番は、全社に現在5262人いるパイロットの中で1451番目。現在のような…

絆2020:ニッケイの思いやりと連帯―新型コロナウイルスの世界的大流行を受けて
二転三転する営業規制下での取り組み — ヴィーガンレスランのオーナー、中尾昭さん

2021年1月6日 • 福田 恵子

「以前と同じことをやるだけ」 オレンジ・カウンティーのハンティントンビーチ。フリーウェイからはかなり離れた、目立たないショッピングモールの、これまた奥まった片隅にヴィーガンレストランVegiLicious(ヴェジリシャス)はある。カレーやラーメン、神戸焼肉丼といった日本的な料理もメニューに並ぶ同店のオーナーシェフが中尾昭さんだ。ヴィーガンメニューの店なので、当然ながらすべての食材が植物由来で、しかもオーガニック。そのヘルシーでしかも中尾さん自らが愛情を込めて作る料理の数々…

米国で生きる日本人の選択
アメリカに残る人々が日本に引き揚げない理由

2020年12月2日 • 福田 恵子

子どもの存在、医療、言葉 移住したアメリカから日本に引き揚げた人々に話を聞き、さらに一度は日本に帰国したが改めてアメリカに戻ってきた人の回に続き、アメリカを終の住処と決めた人々にも彼らの決断について聞かせてもらった。 在米50年になる70代男性Tさん。アメリカで語学を勉強し、日本に戻ったら映画評論家になろうと思っていたと話す。しかし、渡米3年目、父親が亡くなった。「母親はすでに私がアメリカに渡る前に亡くなっていたので、親がいない日本にもう戻る理由はないという気持ちになり…

米国で生きる日本人の選択
31年間の米国生活から日本に引き揚げた後永住権を再取得した徳留絹枝さん

2020年11月20日 • 福田 恵子

子どもの将来考え永住権取得 様々な理由で米国暮らしの後に日本に引き揚げたり、またアメリカに残る選択をしたりする新一世の話を聞くうち、一度日本に引き揚げた後に再びアメリカに戻ってきた人の話も聞きたいと思うようになった。そんな時、2019年の夏にオレンジ・カウンティーのアーバインで開催されたセミナーで、偶然再会した徳留絹枝さんのことを思い出した。徳留さんはユダヤ人と日本人の関係に焦点を当てた著書で知られる活動家(私はジャーナリストだと思っていたが、徳留さん本人は活動家と紹介し…

米国で生きる日本人の選択
永住権当選から18年後の現在地 — 中島恒久さん

2020年11月4日 • 福田 恵子

時給7ドルからのアメリカ生活 サンフランシスコ近郊のIT企業でCOOを務める中島さんと知り合ったのは、某日系ビジネス団体の会報向けの取材だった。取材後に彼のプロフィールをまとめるために名前で検索した。すると、てっきり日本からの駐在員だと思っていた中島さんが実は、同時多発テロ事件直後に永住権抽選プログラムでグリーンカードを手にし、自力で渡米した人だということが分かった。最近は狭き門となっている同プログラムだが、当選後にアメリカに移住した人たちのその後を知りたいと思ってい…

米国で生きる日本人の選択
アメリカを終の住処とせず日本に引き揚げる人たちの理由

2020年10月2日 • 福田 恵子

在米48年後、夫婦で日本へ 私の周囲で日本に引き揚げる人が増えている。私自身も節目を迎えつつある。日本で働く長男が私の両親と住んでいるので安心ではあるが、彼らの介護が必要になってくると一人っ子の私が日本に引き揚げて親の面倒をみなければならない。新一世の中にはアメリカを終の住処とせず、私のように「日本に残してきた親の面倒をみるために引き揚げる」という人もいれば、「医療費が高いアメリカでは老後は過ごしづらいから日本へ」という人もいる。そこで、遠からずその日を迎えようとしている…

南カリフォルニア生まれの2世: 米国トヨタのクリストファー・ヤング氏

2020年8月21日 • 福田 恵子

日本語のモチベーション アメリカで生まれた日系2世が日本語学校や日本語補習校へ通う理由、それは親が「ルーツの国の言語を習得してほしい」と望むからだ。私の2人の子どもたちもそうだった。土曜の朝になると、気乗りしない様子の彼らを急かすようにして日本語学校に向かったものだ。子どもたちのその後は分かれる。「月曜から金曜まで学校に通っているのに、その上なぜ土曜も学校に行かなければならないのか」と反抗し、途中で挫折する子もいれば、勉強よりも自分と同じルーツの友達と会うことが楽しみで日…

2017年渡米、「楽観」ラーメンの伊東良平さん

2020年6月17日 • 福田 恵子

移住までに6年かけて準備 2017年7月にロサンゼルスのダウンタウンに店を開けてからサウスベイのレドンドビーチ、さらにサンタモニカと開店が続いた楽観ラーメン。Rakkan USAのCEO、伊東良平さんは自らのラーメンを武器に米国移住を果たした人物で、現在はロサンゼルスを拠点に、全米、ヨーロッパへの進出も視野に入れている。伊東さんが海外移住を志すようになったのは、専門学校を卒業後に世界を巡るNGOの大型船にシェフとして乗り込んだ10年以上前にさかのぼる。 「1年くらいかけ…

絆2020:ニッケイの思いやりと連帯―新型コロナウイルスの世界的大流行を受けて
コロナ禍のメッセージ伝え続ける鷹松弘章さん

2020年5月11日 • 福田 恵子

日本に気づいてほしい  シアトル郊外に本社を置くIT企業タブローソフトウエアの開発マネージャーでありながら、複数の企業の社外取締役を務め、さらには『世界基準の子育てのルール』という著書も上梓している鷹松弘章さん。実に多彩な顔を持つ鷹松さんとは、過去に数度取材させていただいた関係でfacebookでつながっている。その鷹松さんの投稿が、アメリカから日本へ向けての新型コロナウイルス関連の注意を呼びかけるものが中心となったのは3月の中旬頃だっただろうか。それまでは…