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日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その8/9

その7>>

(3)評論.随筆

カール・ヨネダが随筆と評論をあわせて9編書いているが、それらの特徴は彼の人生の回顧であり、反戦平和と反人種差別の姿勢であり、家族への愛情である。

彼は「訪日余話」(第7号)と「私の羅府時代」(第10号)においてマルクス主義者で労働運動家であった自己の人生を振り返り、「幸徳秋水の在米時代」(第9号)でサンフランシスコにおける日本人社会主義者グループの活動を記録する(「幸徳秋水の在米時代」は後に『在米日本人労働者の歴史』<1967>に収録)。これらの随筆と評論は彼個人の歴史であるだけでなく、従来の在米日本人・日系人史の中では記述されなかったもう一つの歴史を語っているところに面白さがある。

「『母の日』に感じたことども」(第3号)ではヨネダは母性愛の中に反戦平和の精神を見いだし、「家さがし」(第6号)の中で、住宅探しにおける白人家主の人種差別を指摘する。「息子よ何処へ行く」(第8号)では息子への強い愛情を表現し、「達磨放浪者(ビートネック)を訪ねる」(第5号)ではビートニックについて肯定的な評価をする。

林徹磨は創作の中で人種差別の激しさを明らかにしたが、評論ではシェイクスピアとスタインベック、同人の西野鉄鎚などを論じ、随筆でことばの壁と日本語について書いている。スタインベックを「米国の宮沢賢治であり、加州出身の吉川英治であり、野生的な夏目漱石である」と喩えるが(「知られざるスタインベック」、第10号)、「野生的な夏目漱石」とは一体どのような人だろうか。

桜庭ケイ(1925-1981)は群馬県で生まれ、1947年に渡米。間もなくアメリカ人の夫と離婚し、その後、美術学校で絵を学んで画家となった。あべよしおとの出会いなどについては、すでに記した通りである。

桜庭は随筆を4編、詩を2編書いている。外国で生活する人の心を描く「蛍」(第4号)は読む者の心を打つ随筆である。アメリカの田舎に住む友人を訪ねたとき蛍を見て、京都の嵐山への旅を思い出す。そして「鳴かぬホタル」は「良しにつけ悪しきにつけ遠く離れて日本を想う時、帰れない日本を想う時、日本の国をだきしめて暮す外国に住む日本人」の「心の内にあるのかも知れない」と思う。「十日間の入院」(第5号)は病院で他の民族の人たちと一緒に生活する中で見聞したことを記している。ドライなアメリカ人のウェットな人間関係や、女性にとって大切なのは自分とお金だけという一患者の生き方が面白い。

演劇評論家の大村敦は5編の演劇論を書いているが、すべて短いエッセイである。オフ・ブロードウェイの進出を地方分権の視点から述べた「オフ・ブロードウェイとオン・ブロードウェイ」(第3号)、冷戦の進行が米ソそれぞれの演劇に与えた影響を吟味する「東対西と演劇」(第5号)が心に残る。

『NY文藝』の創刊の土壌を作るのに大きな力を発揮した芳賀武が中国訪問記「新しい中国を訪問して」を寄せているが(第7号)、作品合評会(第8号)でその思想的宣伝性の強さが厳しく批評された。『NY文藝』の在り方に関する同人の姿勢を示すものとして興味深い。田中儀一の随筆「ベーヨンギアング」(第2号)は1920年代のニューヨーク州ベーヨン市で、夏場が日本人とユダヤ人の夏場師によって占領されていたことに触れる貴重な史料である。

(4)その他

『NY文藝』に掲載された詩は少ない。佐藤あき子(秋谷聡子)は親に寄せる子供たちの想い(「子供の会話から」、創刊号)、日本の女性がニューヨークで買い物をするときに見せる思い上がりと厚かましさ(「その女」、創刊号)、ニューヨークの秋の訪れ(「風の讃歌」、第6号)を詠んでいる。相馬真知子の詩は自己の生き方を考えるものが多く(「悪女」「生れなおし」、第8号、「何が欲しいのか」、第10号)、女性の激しい愛の心を表現する作品もある(「くちずけ」「嫉妬」、第6号)。

北見俊郎は郊外の森の中で覚える安らぎ(「森」、第11号)や北欧への旅で味わう孤独と日本への郷愁を詠う(「無題」、第7号、「留学」、第11号)。三田穢士が「我が娘に贈る詩」(創刊号)を書き、娘への愛を語るなかで、人々の間の連帯の重要性と世界平和への願いを述べている。1930年代の三田と変わらない姿勢がここにある。

川柳は川柳万発端吟社を主宰する崎村白津が整理して、毎号掲載している。投稿者はニューヨークだけでなくアメリカ全土にわたっている。題材を日常身辺に求めるものが多く、そこから世代交代が進む日系社会が見えてくる(崎村白津「妻の碑に一句掘込む日本文学」、アーノルドみさ子「泣き笑い共に過ごして早や九年」、共に第7号)。日本への郷愁もよく詠まれ(竹原房枝「帰化しても祖国の佳節忘れかね」、第4号)、社会的関心を示す作品は少ない(市場宇江「バス揺れて人種を越えた膝にふれ」、第8号)。

作品合評会を行ない、それを掲載したことは、日系文学の歴史のなかで他の同人誌には見られない大きな特徴である。これを可能にしたのは、編集責任者であったあべの強い意向とともに、文学的力量を高めるために相互批判を重視するという同人の合意があったこと、また主要な同人たちが比較的近くに住んでいたことなどであった。作品が1編ずつ取り上げられて批評され、しばしば文学の目的や文学の普遍性、作品の題材と技法との関連など、大きなテーマが議論されている。同人の文学観を知るうえで、大変有益である。

その9>>

* 篠田左多江・山本岩夫共編著 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。

© 1998 Fuji Shippan

Japanese literature new york NY bungei postwar

Sobre esta série

日系日本語雑誌の多くは、戦中・戦後の混乱期に失われ、後継者が日本語を理解できずに廃棄されてしまいました。このコラムでは、名前のみで実物が見つからなかったため幻の雑誌といわれた『收穫』をはじめ、日本語雑誌であるがゆえに、アメリカ側の記録から欠落してしまった収容所の雑誌、戦後移住者も加わった文芸 誌など、日系アメリカ文学雑誌集成に収められた雑誌の解題を紹介します。

これらすべての貴重な文芸雑誌は図書館などにまとめて収蔵されているものではなく、個人所有のものをたずね歩いて拝借したもので、多くの日系文芸人のご協力のもとに完成しました。

*篠田左多江・山本岩夫 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。