マンザナーへ、そしてマンザナーから

2002年にアメリカへ留学し、『さらばマンザナール (原 題:Farewell to Manzanar )』との出会いで、日系史に目覚めた郷崇倫(ごう・たかみち)氏による、コラムシリーズ。自身の体験談を元に、日系史について語ります。

(* Signature image from Wikipedia.com by Daniel Mayer. )

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第6回 (後編) 東カリフォルニア博物館へ

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東カリフォルニア博物館の日系史にかんする展示において、特筆すべき点は、博物館のなかにおいて一番に訪問者の目をひく、バラックの内部を再現した展示です。

このバラックの床には、ところどころに、ブリキ缶の側面を平べったくしたものが、床に打ちつけられていました。これらは、当時のバラックが、粗悪な材木と、タールを塗りつけた紙だけで造られていた為に、すきま風や、すきま風とともに入ってくる砂を、防ぐためのものでした。

今でこそ、全米日系人博物館をはじめ、各地の博物館などにおいて、収容施設の内部を再現する展示が見られるようになりましたが、東カリフォルニア博物館は、バラックの内部を展示として活用した、最初の博物館のひとつなのです。

また、実際に当時の人々が使った家具や ...

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第6回 (前編) 東カリフォルニア博物館へ

マンザナーでの実習は、3日目を迎えました。私はキャリーさんと一緒に、東カリフォルニア博物館(Eastern California Museum)を訪れました。

東カリフォルニア博物館は、マンザナーをふくめた、インヨー郡(Inyo County)の歴史に焦点をあてた博物館です。マンザナーからは、車で約15分ほど北上したところにあって、インディペンデンスの街の中心にあります。今回、マンザナー以外に、東カリフォルニア博物館に足を運んだのは、私のマンザナーでの実習における、プロジェクトを決めるためです。

博物館へ到着すると、私は博物館の責任者でもある、ベス ...

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第5回 マンザナー二日目

マンザナーにきて二日目、わたしは寒くて朝早くに目が覚めてしまいました。時計を見るとまだ6時でした。寒くて目が覚めてしまった経験は、実に数年ぶりでした。

わたしは熱いシャワーを浴びたあと、果物の缶詰を2個ほど開けて、急いで朝食を済ませました。ガスヒーターを点けましたが、部屋は一向に暖まりません。さらに、わたしは外を見てびっくりしてしまいました。なんと、霜が車全体を覆っていたのです。わたしは急いでお湯を沸かし、車全体を覆っている霜をとかし始めました。まもなくして霜をとることはできましたが、案の定、すぐにはエンジンがかかりません。何とかしてエンジンをかけ、エンジンが温まった頃には、すでに7時半になろうとしていました。わたしは、8時の出勤時間には間に合うようにと、エンジンが温かくなったのを確認し ...

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第4回 風のように過ぎ去った1日目

ロン・パインの資料館から戻ると、キャリーさんは、私にジョッシュさんを紹介してくれました。彼は、私がマンザナーに来る数ヶ月前から、マンザナーでボランティアとして働いていました(この数日後に、彼はデス・ヴァレーにある国立公園に移り、そこでもボランティアとして活躍しました)。私は、彼から、ボランティアの仕事のひとつである、手紙などのデジタル化のやり方を教わりました。「デジタル化」と格好良く書きましたが、これは、収容された日系人が残した手書きのメモや手紙を、パソコンに打ち込むという作業でした。そして、日本語の出来る私は、とある日系二世が、一世である父親にあて、日本語で書いた手紙を英訳することになりました ...

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第3回 「運命の扉」が開いた瞬間

生まれて初めてマンザナーを訪れてから約1年が経ちました。私はオレンジ・コースト大学を卒業後、カリフォルニア州フラトン市にあるにあるカリフォルニア州立大学に転学し、本格的に日系史の勉強を始めることになりました。当時、フラトンの大学では、オーラル・ヒストリーを通じた日系アメリカ人の歴史の研究で知られるアート・ハンセン先生が教鞭をとっており、先生のもとで勉強ができる機会を大切にしたいと私は考えていました。

フラトンの大学に通いはじめて数ヵ月後、学部の先生たちから、マンザナーの資料館で実習生を募集している、ということを私は知らされました。日系人の歴史を理解するにあたり、とても大切な経験になると思い、生まれて初めて英語で履歴書を用意し、私はすぐに応募しました。ハンセン先生をはじめとする学部の先生たちや、大学の国際教育交流事務所の職員のみなさんの手助けもあり、2005年の12月から2006年の1月にかけての4週間、私はマンザナーで実習生として働くことが決まりました。

2005年の12月19日の早朝、私はマンザナーに向けて車を走らせました ...

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