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Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity

記録文学としての短歌、俳句、川柳:一世が詠んだ民主主義、正義、尊厳 - その2/2

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3.アメリカ民主義:排日からリドレスまで

排日

1907年のニューヨークタイムズの記事には、「白人の世界の日本人の侵略」と書かれています。やがて紳士協約が結ばれ、1913年カリフォルニア州外国人土地法、1920年の写真花嫁への旅券発給停止、1922年小澤孝雄判決による帰化不能外国人の決定、1924年移民法による日本人移民の停止と続きます。

短歌から三つばかり拾ってみました。法律とは別に、家を借りることができない社会的差別や、市民権がないばかりに泣き寝入りしなければならない経済的損失が詠まれています。

憤り心には燃ゆ貸家札 貼りたる家も我等には貸さず
          (井上渭城 『新世界』1923年6月24日)

とつくにの民とし指紋押すここち 國辱めらるる思ひにてありき
          (臼井千曲 『新世界朝日』1940年10月7日)

汗みづを流して稼ぐはらからの なまちをすする地主なるかな
          (馬可文夫 『新世界』1926年5月23日)

ここからは川柳を中心に作品を見て行きます。市民権を得ることのできないために差別を甘受しなければならない現実を嘆いています。これらの句から、作者はアメリカの建国理念が、平等、正義、人道のはずだと見抜いていることがわかります。ところが現実は、妻さえも呼べない、結婚さえもできない。移民法がアメリカの精神に反することを衝いています。

≪移民法について≫

リンコルン程の人なき夜を恨み
          (雀喜 『北米川柳』1930年)

移民法妻さへ呼べず無縁塚
          (迷舟 『北米川柳』1930年)

人道を説く亜米利加に移民法
          (木偶坊 『北米川柳』1930年)

《帰化権について》

帰化権の無いを邪見に利用され
          (柳雨 『北米川柳』1930年)

市民権ないまま何日も泣き寝入り
          (松亭 『北米川柳』1933年)

帰化不能てふ語に希望何処へやら
          (芋作 『北米川柳』1932年)

二世には市民権があるのですが、あったとしても、教育を受けていたとしても、英語が話せても、人種を理由に社会的に差別される現実を詠んでいます。

卒業は就職難の一里塚
          (五街人 『加毎川柳一週年』1938年6月19日)

英語だけ知って通れぬ皮膚の色
          (涼子 『北米時事』1939年9月28日)

学校教育ではアメリカの正義、人道、自由、平等が教え込まれていても、現実は異なっている。理念と現実の矛盾をついています。

教科書と違ふ世間が腑に落ちず
          (竹涼 『北米時事』1940年8月28日)

たとえ2級市民として差別されていても徴兵はあるわけで、アメリカへの想いは複雑です。最後の句を見ると、立派に成人したことへの誇りも感じられます。

子は兵に召されて仰く星條旗
          (鬼堂 『北米時事』1941年10月28日)

市民権呉れない国に子を捧げ
          (雀喜 『北米時事』1941年7月21日)

排斥の中に育てた子も兵士
          (吾以知 『北米時事』1941年3月18日)

もちろん、市民権があれば、法的には平等なはずですので、アメリカ市民である二世の成長に、将来を託しています。差別されていても、なおアメリカへの愛着が感じられます。ようやくアメリカの土地に根を張ったという実感が感じられます。

永住の土地を買はせる市民權
          (藤枝 『北米時事』1939年9月28日)

待遇と別に二世の選擧權
          (岐川 『北米時事』1941年1月30日)

子のリース権へ駆引き強く出る
          (露昌 『北米時事』1941年2月12日)


日米戦争、強制立ち退き、仮収容所へ

強制立ち退きは、一世がこれまで営々と築き上げてきた生活を根底から崩します。次の川柳からは、立ち退きの哀しみと悔しさが滲みます。

汗と血で築いた地盤夢と消へ
          (弓翠 馬小舎』1942年6月15日)

惜別に畑も涙を露に見せ
          (塵外 『馬小舎』1942年8月8日)

忘られぬ我が家見返りバスに乗り
          (一沙 『馬小舎』1942年7月11日)

父抑留子は兵役に母キャンプ
          (九星 『ユタ日報』1942年7月27日)

次の句は下駄履きの日本人の一世が英語を話すという、なんともミスマッチでおかしいのですが、現実には、雨が降ればぬかるみで、下駄を履かざるを得ないのに、日本人だから強制収容されたのに、仮収容所では、不自由な英語を話すことを強要される、そんな生活を強要する政府への批判精神が感じられます。

下駄履きが英語を話す小舎住まい
          (弓翠 『馬小舎』1942年8月2日)

強制収容所

強制収容所内で詠まれた川柳をみます。民主主義を掲げ、自由のためにファシズムと戦うと云っているアメリカが自由を奪っている矛盾を突いています。

アメリカを故郷にして柵に住み
          (露角 『しがらみ』1943年8月1日)

民主主義加州へ入れぬ柵を張り
          (曲水 『しがらみ』1944年12月15日)

鉄柵の刺はキヤンプの内へ向き
          (曲水 『しがらみ』1944年9月15日)

日本人なのにアメリカへの忠誠を問われる複雑な迷いが、故郷の土、アメリカの土という、土という言葉から感じられます。

故郷の土アメリカの土登録紙
          (其蜩 『しがらみ』1943年3月7日)

鉄条網の中で忠誠を問うのか、という怒りさえ感じます。

フェンス等張って忠誠きいてみる
          (泫水 『しがらみ』1943年2月15日)

自由のペンの先にあるものはなんでしょうか?独立祭を収容所のなかで祝わされる意味は何なのでしょうか?

イエス・ノー選ぶ自由のペンの先
          (白雀 『川柳四八区』1944年8月16日)

独立祭デモクラシーの意義を説き
          (丘上 『しがらみ』1944年9月15日

アメリカは結局、戦場で死なければ、二世の忠誠心を信用しなかったのか、という悔しさと哀しみを感じます。

忠誠は遺骨となつて認められ
          (白鳥 『ユタ日報』1944年12月15日)

花散れば忠節なりと政府云ひ
          (吉田繁有喜 『しがらみ』1944年9月15日)

原爆投下に関しても、人道に反する行為だと見抜いています。

長崎の惨禍を曰ふにハンドレツトパセントサクセスフルなりと誇るかアメリカのラヂオは
          (糸井野菊 『東津久仁高原詠草』)

新武器に過去の正義は泡と消え
          (千久万 『ユタ日報』1945年9月10日)

人道の価値は何処へ原子弾
          (守平 『羅府新報』1946年10月8日)

敗戦の句を二つ選びました。

黙々と祖国を朝に祷るもの
          (桂馬 『ポストン文芸』1945年9月)

灰燼の郷里窓辺に浮かぶ父
          (白舟 『ユタ日報』1945年10月15日)

再定住時代

再定住時代に移ります。住宅難というよりは、住宅差別が、帰還した日系兵士をも苦しめます。二番目の句がいうように、自由の女神が歓迎するのはヨーロッパからの人々だけではないか、アメリカの自由とはアジア人には及ばないのだ、という怒りを感じます。

凱旋の勇士を迎ふ住居難
          (小原塵外 『羅府新報』1949年5月27日)

アメリカの西には建てぬ自由像
          (長石孤雁 『つばめ』1950年1月)

そして、帰化権も、JACLが反差別、正義の実現を訴えても、なかなかなかなか議会を通過しません。

帰化法も矢張り人種にある差別
          (深雪『北米川柳』48号1950年3月)

反差別正義の声はつづけども
          (紅鳥 『北米川柳』48号1950年3月)

デモクラシー唱えて帰化権くれしぶる
          (多賀 『北米川柳』1950年11月)

それでも、ようやく1952年、マッカランウォルター法案が通過し、大統領の拒否権を乗り越えて、遂に成立しました。待ちに待った帰化権の獲得を喜ぶ声が聞こえてきます。

味噌汁のままで嬉しい帰化が出来
          (謙蔵 『川柳つばめ』1952年8月)

帰化権も取れて見上ぐる星条旗
          (白雀 『川柳つばめ』1952年8月)

英霊に感謝 帰化権賠償金
          (伯東 『羅府新報』1952年12月19日)

世界一の国へ帰化する気の勇み
          (鈍突 『北米報知』1953年5月2日)

皆様は、川柳に詠み込まれた喜怒哀楽をどのように感じられたでしょうか。私は、強制収容所時代でさえ、感情の爆発はなく、抑制のきいた批判だと感じました。清水其蜩は、「千尋の渓谷に架せる丸木橋を渡りつつある我等の現在」をよく考え、作句に当たっては自重を求めていました。「川柳その物、引いては日本短文学全般に亘つて累を及ぼす事を恐れるからだ」(『しがらみ』1945.6.15)そうです。選者や互選というスクリーニングがあったという点を忘れてはならないと思います。

リドレス運動

時代はかなり飛びます。リドレス運動の獲得に関しては、加州短歌会のメンバーであるの岩見純子さんのお母様である門脇あい子の短歌集『シャスタの峰』から、4首を選びました。

三世の子らの活躍なせる世になりて 明るきニュースを聞くも
          (『シャスタの峰』171頁)

米国に骨を埋めし父母も悦びいまさん 今日のこの日を
          (同171頁)

排斥の嵐の中にもまれつつ雄々しく 父は生き抜き給いき
          (同172頁)

排日の日々をたえ来し父母に 見せたしと思ふこの補償金
          (同188頁)

謝罪と補償を受けることができたことを、三世に感謝し、また一世の父母の苦労をしのぶ気持ちが伝わります。この短歌でこの発表を締めくくることができたのは、うれしいです。

1966年1月12日に行われた歌会始にて。(Photograph by Toyo Miyatake Studio, Gift of the Alan Miyatake Family, Japanese American National Museum. [96.267.889])

*2013年7月4日から7日にかけて行われた全米日系人博物館による全米カンフェレンス『Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity』での日本語セッション「一世の詩、一世の声 (Issei Poetry, Issei Voices)」のセッションでの発表原稿です。

このセッションの発表を聞く(音声のみ)>>

 

 

© 2013 Teruko Kumei

haiku issei senryu tanka waka

Sobre esta serie

日系アメリカ人の地位回復を果たした「市民自由法」制定25周年を記念して、全米日系人博物館は、2013年7月4日から7日にかけてワシントン州シアトルで、第4回全米会議『Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity』を行いました。この会議では、民主主義、正義、尊厳をテーマに、新しい見識、学術的論考、コミュニティの観点を紹介しました。

このシリーズでは、今回の会議で発表されたさまざまな視点からみる日系アメリカ人の体験談だけでなく、会議に参加した方々の反応などを中心に紹介します。

会議についての詳しい内容は、全米会議のウェブサイトをご参照ください>>