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書評 『南北アメリカの日系文化』山本岩夫・ウェルズ恵子・赤木恵子 編(人文書院)2007

本書は、日系人を、国と地域別にカナダ・合衆国本土・ハワイ・南米各国の四つに分け、その文化を紹介し論じる試みである。従来の日本人による日系人 研究に弱点があるとすれば、それは、歴史研究や社会変動、アイデンティティ問題などに片寄り、日系人のありふれた日常生活に表れるトリビアな文化の記号を すくい取れてこなかったことだろう。この論文集は、立命館大学で組織された日系人研究グループが連続して開催した公開講座の講義録の上に成立した背景を持 ち、また、執筆者はそれぞれのスタイルでそれぞれの日系社会と文化に積極的にコミットしてきた第一線の研究者である。結果、難解な「研究者のための研究 書」とは一線を画した内容となったことは喜ばしい。以下、印象に残る部分を紹介したい。

まず南米の日系人文化である。評者が無知な分野だからということもあるが、南米の日系文化並びに日本へ出稼ぎ移住している南米の日系家族とそのライ フスタイルや悩みを取り上げたⅣ章の五つの論考は、南米の日系文化の内側に留まらず、南米からの移住者が定着して久しい日本での異文化理解や、共生の在り 方に示唆を与えてくれる。評者の眼からウロコが何枚も落ちた。移住者家族のリアルな記述は、自分の足下を見直す機会を与えてくれる。日系人は日本のなかで も暮らしているのである。

南米の日系文化では、カラオケで歌われる演歌や歌謡曲やJ-Popだけでなく、日本から「よさこいソーラン」が、北米からは海外日系文化の華である 和太鼓音楽が南米の日系社会にも紹介~導入されていることを知り、同時代の日系文化を生きる気分がシェアできた。「よさこいソーラン」は、民謡のソーラン 節が、独自の自由なスタイルを持つ民謡歌手、伊藤多喜雄を経由して日本全国の学校に拡がった、民謡のリバイバルを越えた一種の社会現象である。グループ毎 に異なる振り付けと群舞が特徴だが、それが南米でも受け入れられ、アレンジされているのは興味深い。南米でもアニメのコスプレが流行るのであろうか。

同様に、米国と比べると日本に紹介される機会の少ないカナダの日系文化、特に若い世代の日系カナダ人の活動や考え方も刺激的である。日系カナダ人 ミュージシャンのパイオニアであるテリー・ワタダは、1970年代に始まる彼自身の音楽を「瞬時のカルマ」という言葉で控え目に説明しているが、ワタダの 歩みは、戦後世代による日系カナダ文化、ひいてはアジア系カナダ文化の創造の過程でもある。しかしそれは意識的なものではなかった。「瞬時のカルマ」とい うのはそういう意味だろう。そういえば、米国のノブコ・ミヤモトも「アジア系アメリカ音楽を創ろうなどと考えたことは一度もなかった」と”A Grain of Sand”の録音について評者に語っていた。ワタダも同じだろう。

しかし、日系文化を単純に礼賛することはできない。ワタダの論考に続く田中裕介によるコラムに読者は深いため息をつくだろう。田中は在カナダ日本人 の文化運動の実践者としての立場から、日系カナダ人と在カナダ日本人の間の溝についてレポートしている。この種の溝=評者はそれを敢えて「乖離」と呼びた い=は多文化主義や多言語教育などの理想の陰に隠れがちであるが、米国でもよく起きている。溝を埋めるのは容易ではないが、乖離を認識しつつも、「言の 葉」の持つ本来的な力を信じ、「語りの会」を運営する田中の姿が印象的である。

米国の日系文化の章では、賛美歌ならぬ日系の賛仏歌の発掘を試みたウェルズ恵子の研究に、日米現代史の中で揺れ動いてきた日系仏教伝道の様々な在り 方を読みとることができる。海外布教における仏教唱歌の必要性を認識した浄土真宗の動きがあるにせよ、米国本土やハワイでオリジナルに作られ伝承されたこ の種の歌や子供向けの日本語の賛仏歌とその歌詞のメッセージ並びに形式には、日系社会と宗教という枠組みを超え、宗教の本質に通じる深い意味を見いだせ る。

山本岩夫は「シカゴにみる日系文化活動」において、情報の少ない中西部の日系文化を<シカゴ日系人の歴史><定住者会(JASC)><ポピュラー・ ミュージック><シカゴ新報><文芸活動><フェスティバル>に分けて紹介している。頁数の制約もあろうが、<ポピュラー・ミュージック>の項では、タ ツ・アオキ、ヨーコ・ノゲなどの1970年代に渡米定住した所謂「新一世」ミュージシャンが経験した日系人社会との乖離や、このふたり以前から続く戦前か らの地元日系文化との相違、そしてシカゴのアフリカ系社会との関係についても触れて欲しかった。アオキはジャズ、ノゲはブルースの世界で活躍しており、共 演者にはアフリカ系ミュージシャンが多い。評者はふたりのシカゴでの公演に足を運んだが、ウッド・ベースと和太鼓を駆使するアオキのライブでも、大阪弁の 日本語が入ったトーキング・ブルースで沸かせるノゲのライブでも、聴衆のほとんどは非アジア系であった。

ハワイの章では、前出のウェルズ恵子によるハワイの民間仏教歌の調査と、権藤千恵による日系の映画産業や映画文化の洗い出しに興味を惹かれた。テレ ビが普及する以前の日系社会では、日系の映画館で上映される日本映画こそが同時代の日本の大衆文化や風俗につながる窓であり、日本で流行した歌謡曲も、映 画を介してハワイに普及したという。権藤は、1941年には23カ所もあったというハワイ島の日系映画館とそれを経営していたタニモト・ファミリー他につ いて調べているが、映画産業史としてだけでなく、ハワイの日系文化史並びにメディア史研究に発展できる分野であり、更なる実証研究の成果が待たれる。

最後に日系という概念の「揺れ」について触れたい。1980年代から、PANA等の国境を越えた日系団体の活動やCOPANI等の大会が、日系を NIKKEIに変化させ、南北アメリカ大陸の日系人社会において「NIKKEIであることの創造的再生」が試みられている。無論、「日系○○人であるこ と」と「NIKKEIであること」の間に矛盾が起きないともいえない。また、先祖が出てきた国である日本に出稼ぎ移住~定住せざるを得ない経済状況にある 南米の日系人と、日系人意識は希薄だが、同盟関係にある米日間の摩擦には神経を尖らさざるを得ない日系アメリカ人とを同列にするわけにはいかない。

しかしながら、本書を、「日系からNIKKEIへ」という「<ニッケイ>としての出自を確認する機会」(南川文里)の創出という現在の潮流に沿って 読んでみると、過去の日本への郷愁として静的に語られがちであった海外の日系文化が、新しい世代の手で未来にどう開かれていくのか、国の違いを超えた 「NIKKEI文化」としてその内実を能動的にどのように変化させていくのかについて考えざるを得ない。この文脈においても、本書の果たす役割は大きい。

© 2007 Minoru Kanda