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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~

第25回 世界連邦建設への訴え

行動するジャーナリストである加藤新一は、書き残したものはすくない。少しでも本人の書き残したものがないか、故郷広島の「広島平和記念資料館」の「平和データベース」で「加藤新一」で調べてみた。すると本と雑誌のなかからいくつか加藤の書いたものがでてきた。

著書「平和競存の創造」より

その一つに「平和競存の創造」という出版物がある。「著者 加藤新一著編」、「出版者 地球友の会」、「出版年 1971年12月20日」、「頁数47」となっている。それ以上はわからないので、同資料館内の情報資料室を訪ね、実物を見せてもらった。

それは、どうやらいわゆる自費出版的な冊子で、奥付には編集者加藤新一、発行人加藤新一とある。発行所は「地球人友の会」となっているが、その横の所在地をみると加藤の自宅住所と同じだった。さらに書名の横には小さく「非売品」とある。

「編著者略歴」の最後には、「現在は、世界連邦広島協議会理事長。ワールド・フレンドシップ・センター理事。地球人友の会世話人。」となっている。推測するに、地球人友の会は加藤が立ち上げたもののようだ。


ハワイに世界連邦研究会を

本書のなかで、加藤は「アメリカに渡り世界連邦を説く ハワイに世連研究会が発足」と出した評論を書いている。冒頭にある説明によると、この文章は加藤が1970年8月から3ヵ月アメリカを訪問した際、ロサンゼルスの邦字紙『羅府新報』に連載した「宇宙時代の指標」と題して寄稿したもので、アメリカ在住の日系人に対して書いた。

また、加藤がアメリカ往復の途中、ハワイ・ホノルルに5泊して、現地のラジオ放送や新聞に啓蒙活動をおこない、講演や座談会を開いた。そして1970年11月中旬に、ホノルルに世界連邦研究会を発足させたという。ここからも加藤の旺盛な行動力がわかる。

評論の本論では、アメリカ社会での世界連邦の意義などを在米の日系人に向かって熱く語っている。以下、部分的にそのままを紹介しよう。

「米国連邦制を世界的に」

世界連邦運動とは、在米日系人の皆さんには縁遠いことのようですが、それはただ現在のアメリカ合衆国の連邦制度を世界的に拡大するにすぎません。また東西両陣営の無意味な軍備競争や紛争での高い税金の悩みを軽減することであり、さらにいまアメリカ社会のガンとなっている黒人問題の解決策にもつながる最も身近で切実な問題であることをご存じの人々は案外少なくないようです。

欧州の封建的な古い社会からのがれて米大陸に渡り自由の新天地を拓いた英雄的で人道的なアメリカ人が、その建国精神にもどり、新しい世界全人類的な平和競存時代の先頭にキリスト教国として立たなければ後世の笑いものになることを憂慮します。

「アメリカぼけ」日系人

あまりに極端なようですが、日本のような戦争に敗れ、人類最初の原爆体験者(特に私たち広島県人は)であり、資源に乏しい島国に一億余の大人口を抱え、しかも東西両陣営の谷間ですでに国境を越えての体制争奪戦場にさらされている内地人のわれわれには、失礼ながらアメリカの人々全体が「アメリカボケ」しているようにうつるのです。

世界連邦とは、アメリカの人々にとっても対岸の火災視どころか、世界人類全体の切迫した問題であり、とくに高い税金難と黒人問題では足許に火がついているのです。税金を安くする最も早道は、国連を世界連邦的に強化して各国の軍備を漸減することであり、黒人問題解決も、世界連邦を実現するほどの人々の頭が人類一体観にまで成長しなければダメです。

(中略)

世界連邦運動はアインシュタイン博士や湯川秀樹博士ら核物理学者が、広島や長崎への原爆投下に対し、いち早く唱え、日本では故尾崎行雄翁が昭和21年春の国会に世界連邦建設を日本の国是にする決議案を出したことは有名です。

日本のこの運動の中心である世界連邦建設同盟は昭和23年8月6日(広島の原爆記念日)に東京で尾崎行雄総裁、賀川豊彦副総裁の陣容で発足したことでもわかるように、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という広島原爆慰霊碑の誓いによる使命感で運動が展開されています。

(中略)

日本は国連中心の平和主義という目標を持ちながら一億一心、忠君愛国で惨めな敗戦を体験して国家目標に尻込みし、戦後は大人も生活目標を持ち得ずただガムシャラに経済大国にのし上がったが、お先真っ暗のため、若い世代は将来に希望が持てず、ゲバ棒の暴力デモか、ヒッピー族、ゴーゴー族に走る現状で、諸外国からは「経済動物」といわれはじめています。

世界連邦運動こそは、戦争放棄の平和憲法を奉ずる日本の国是であり、日本の海外発展の基本理念であると同時に、それは世界人類(アメリカの人々も含め)の生活目標として永久不変であります。

これは戦前の一億一心的スローガンとちがい、いくら推進しても、推進しすぎず、バカを見ることはない「宇宙時代の指標」として第二回宗教者平和大会がその基調テーマにしたわけもそこにあります。(後略)

このように加藤は、冷戦時代でもある当時、東西間の緊張関係を憂慮し、両陣営の軍拡競争を非難している。アメリカ社会に対しては当時の人種間の軋轢への解決を同時に視野に入れている。その一方で、戦後の日本社会は掲げるべき理想を忘れ、ひたすら経済活動のみに邁進していることを問題視している。

こうした考えの根本にあるのは、なにより自分の広島での被爆体験である。このあと加藤は、さらに活動の幅を広げ国連の事務総長にも訴えるなどの行動にでる。

(敬称一部略)

第26回 >>

 

© 2021 Ryusuke Kawai

activist hibakusha hiroshima journalist Shinichi Kato Shin-issei

Sobre esta serie

1960年前後全米を自動車で駆けめぐり、日本人移民一世の足跡を訪ね「米國日系人百年史~発展人士録」にまとめた加藤新一。広島出身でカリフォルニアへ渡り、太平洋戦争前後は日米で記者となった。自身は原爆の難を逃れながらも弟と妹を失い、晩年は平和運動に邁進。日米をまたにかけたその精力的な人生行路を追ってみる。

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