1900年生まれの加藤に直接会っている人は、日本で私が取材した範囲では加藤の甥にあたる吉田さんと加藤の実家近くに住む二人だけで、アメリカではロサンゼルスの広島県人会にひとりいるだけだった。
加藤が晩年精力的に関わった平和運動の関係者で加藤を知る者はいないものかとおもっていたところ、広島市役所で偶然手掛かりがつかめた。原爆で亡くなった加藤の妹や弟のことを調べようと広島市健康福祉局原爆被害対策部援護課を訪ねたとき、「原爆被害者対策事業概要」(2019年版)というものを入手した。
原爆の被害状況や被爆者対策などがまとめられているその刊行物の終わりの方に「平和関係団体名簿」として、7ページにわたりさまざまな団体の名称、所在地、連絡先の一覧があった。そのなかに「世界連邦運動協会広島支部」をみつけた。加藤が生前深くかかわっていた団体である。
くわしい所在地のところに、「森下峯子方」とある。さっそく記されていた連絡先の電話番号にかけ、何回目かで森下さんと話をすることができた。加藤新一について調べていることなどを説明すると、森下さんは、加藤のことは知っているだけでなく50年ほど前加藤に会ったことがあるという。
やさしい熱血漢
森下さんにお願いして、広島市内で待ち合わせ話を聞かせてもらうことになった。1948年生まれの森下さんは、若いころから世界連邦の運動にかかわり、加藤が事務局長をつとめた1970年8月の「第二回世界連邦平和促進宗教者会議」でも役員をつとめた。
精力的に活動する先輩の加藤に何度か接している森下さんは、当時の加藤についての印象をこう言い表わす。
「加藤さんはアメリカの南部の地域を舞台にした地方色豊かな文学にあらわれる熊(クマ)のようなイメージです。恰幅がよく大柄で、ゆったりとしていて温かい。やさしい熱血漢といった人でした」
加藤を知る数少ない他の人とおなじような印象を持っていた。また、世界連邦という国境を越えて世界がひとつの政府となる理想のもとで、「地球市民」という概念を広げることに熱心だったと森下さんはいう。
森下さんが教えてくれた「世界連邦運動ヒロシマ25年史」(1972年6月刊)のなかで、加藤が書いている「あとがき」や、同運動の1972年ごろの要点から地球市民と加藤の考えがわかる。
いち早く地球市民登録
もともと「地球市民」という概念を提唱したのは、国連事務総長のウ・タントだった。「『地球市民キャンペーン』はウ・タント国連事務総長(当時)が国連運営十ヵ年の苦心から、国連が弱いのは、国家主権固執の各国の体質からで、その主権者である人民に地球人運命共同体意識を培うことが先決ということから提唱。WAWF(World Association of World Federalists=世界連邦主義者世界協会=世界連邦運動の前身)がこれを採りあげ、ウ・タント氏を『地球市民第一号』と宣言し運動を開始したものであり……」と、あとがきで加藤は書いている。
「第一号宣言」をしたのは、世界連邦主義者世界協会会長のノーマン・カズンズで、この運動を世界的に展開し地球市民登録を募った。
日本でもこれに呼応する動きがおこった。広島で「地球人友の会」をつくっていた加藤は、さっそくWAWFに地球市民登録をし、日本の運動に先鞭をつけた。加藤に続いて広島市の山田節男市長らがつぎつぎと登録した。ここでも加藤の行動力が示されている。
1972年8月にブラッセルで開く第15回世界連邦主義者世界協会世界大会の運動方針として、広島からは、日本側が提出する「地球人相互競存宣言案」なる原案がつくられた。この中心になったのも加藤とおもわれる。
「共存」ではなくあえて「競存」という造語をつかっている。競い合うことは認めながら共存する、という意味のようだ。
われわれは運命共同体
この地球人相互競存について、加藤が「25年史」で以下のように説明している。
「われわれ人類は、宇宙生命力の大法則下にある一惑星の地球上に住む運命協同体『地球人』であり、全人類の尊厳、自由と平等と同胞愛による相互愛を深く尊ぶものである。
われわれ人類は、地球人同胞として、人種、皮膚の色、性、年齢、宗教および政治的信条のちがいは自然であり、また集団制度、理想の相違は、人類の創造的発展、幸福のため刺激的な要因とするものである。
われわれ人類は、かかる相違の中の多様性の上に永続する普遍的相互競存の生活法則を創造することは、あらゆる老若男女も当面する責務であり、恒久平和実現(世界連邦)への生きがいとするものである」
さらに、あとがきの最後を、世界連邦主義者(フェデラリスト)として日本人が担える役割に期待して、古めかしい言い方ながら決意をもってこう締めくくっている。
「日本のフェデラリストは、この地球的単位時代の世界維新に光栄ある志士『日本』の尖兵になり得るや否や。それは後世の歴史の審判にまつのみ」
高邁だがともすれば現実離れした理想とも思える加藤の言葉は、奇しくも「コロナ禍」、「気候変動」という地球的な課題を抱えた世界がいままさにかみしめるべきもののようだ。
(敬称一部略)
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