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おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第四章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 後編(2)

Yuri Brockett

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おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第四章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 後編(1)

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おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(6)

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第三章(5)を読む >> 外の空気、自由の味 ヨシコの父親と母親が、転住局の特別許可をもらって、ハートマウンテンにいる父親のお母さんと妹を訪ねたことがあります。かごの鳥のような生活は知らず知らずのうちに、身と心に澱のようなものをためさせます。ヨシコは二人が帰って来た時の様子に驚きました。

おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(5)

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おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(4)

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第三章(3)を読む >>収穫の手伝い———晩秋 実りの秋でもあります。農産物の収穫期ですが、カリフォルニア、アリゾナ、アイダホ、ワイオミングとどこの農園でも人手不足に悩んでいました。いままで収穫に携わっていた者は、兵役にとられたり、軍需景気にわいていた都市に出かけたりしていて、誰もいません。困った知事は、地元出身の上院議員や戦時転住局に「愛国者の義務として」日系人被収容者に刈り入れを手伝わせるようにかけあいます。囲いからでるチャンスですから、多くの高校生も応募し、ブリードさんの子ども達のルイーズも「学校新聞を作るための基金集めに」級友と綿摘みに出かけています。シアトルのウィルス先生に、ベンが農園のあるアイダホ州のツインホールズから出したはがきです。

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第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(3)

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第三章(2)を読む >> 学校のない九月———秋 アメリカの学校の1年は6月に終わり、約3ヶ月にも及ぶ長い夏休みをはさんで、9月から新しいスタートを切ります。9月、夏の間に大きくなった背丈に見合う新しい洋服とノートや鉛筆を用意してもらい、久しぶりに友だちと再会するのは楽しみです。しかし、1942年の9月は、強制収容所に移ったばかりの日系の子どもたちにとっては勝手が違いました。シアトルで通っていたガーフィールド高校のウィルス先生にあてたマサオの手紙から。

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第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(2)

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第三章(1)を読む>>収容所内新聞から見るコミュニティ図書館 各収容所では当初ガリ版刷で新聞が発行され、WRAからの通達からコミュニティ・ニュースまでを、各家庭に届ける重要な役割を担っていました。WRAは、この新聞にも、原稿をまとめた時点で、ロウ原紙に鉄筆かタイプライターで書き上げた時点で、そして、印刷した時点でと、3回も入念な検閲を課していました。マンザナーにあったのは、マンザナー・フリー・プレスという名前の新聞でしたが、ある被収容者は「なにがフリー・プレスだ。フリーなのは新聞が無料だってことだけで、言論の自由なんてないじゃないか」と憤慨しています。しかし、どこの家に子どもが生まれたとか、野外映画や図書館でのコンサートの予定などを知る、なくてはならないものでした。今回は、このコミュニティ新聞からコミュニティ図書館の成り立ちを探ってみます。

おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第三章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 前編(1)

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第二章(6)を読む>> またもや受け入れ準備不完全なまま、陸軍は「集合所」から人里はなれた内陸部にある「転住所」に日系人を移動させることを決行。ピュアラップ仮収容所から、普段使われていない古い車両で、2日間、窓のシェードを下ろしたまま、硬い座席に座って煤だらけになり、ようやくミニドカについた日系人を迎えたのは、見渡す限りの砂漠と砂嵐。1

おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第二章「集合所」という強制収容所: 1942年春から秋にかけて (6)

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第二章(5)を読む >>  5. 図書館設立にむけて 各収容所で図書館をつくる動きがはじまります。ピュアラップ仮収容所の図書館設立に関わったマーガレット・ババ・ヤスダは当時十七歳でしたが、その過程を「草の根運動、ボランティア活動、(なんにもしないで)キャンプで腐っちゃうより何かしなきゃ、とみんなが考えた結果」と言います。1 タンフォランとポートランドの仮収容所図書館の場合をメアリー・オギがライブラリー・ジャーナル(1943年5月1日号)に寄稿した記事とツボイ姉妹のレポートに沿って設立当時の様子を追ってみます。

おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第二章「集合所」という強制収容所: 1942年春から秋にかけて (5)

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第二章(4)を読む >> 訪問者 ある日、高校生のフランク・ヤマサキのバラックに、メッセンジャーがやってきて、外部からお客様だと伝えます。ピュアラップは、この日は雨じゃなかったようですね。

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