Alberto J. Matsumoto

Nisei Japanese-Argentine. In 1990, he came to Japan as a government-financed international student. He received a Master’s degree in Law from the Yokohama National University. In 1997, he established a translation company specialized in public relations and legal work. He was a court interpreter in district courts and family courts in Yokohama and Tokyo. He also works as a broadcast interpreter at NHK. He teaches the history of Japanese immigrants and the educational system in Japan to Nikkei trainees at JICA (Japan International Cooperation Agency). He also teaches Spanish at the University of Shizuoka and social economics and laws in Latin America at the Department of law at Dokkyo University. He gives lectures on multi-culturalism for foreign advisors. He has published books in Spanish on the themes of income tax and resident status. In Japanese, he has published “54 Chapters to Learn About Argentine” (Akashi Shoten), “Learn How to Speak Spanish in 30 Days” (Natsumesha) and others. http://www.ideamatsu.com

Updated June 2013

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The Nikkei of Latin America and Latino Nikkei

日本在住の日系人も老後の時期にきたのか

コロナ禍になって1年半が過ぎたが、日本国内では最近外国人の高齢化問題をテーマにしたセミナーが増えている。今年の3月末に名古屋市で開催されたシンポジウムは対面とオンラインのハイブリッド型で、私は「在日南米コミュニティーの高齢者の老後」について話をするためスピーカーとして招かれた。このシンポジウムでは、韓国人や中国人オールドカマーの事例やフィリピン人たちの試みなどが紹介され、とても興味深いものだった。 特に、我々南米の人間とフィリピン人は「老後」や「終活」という概念についてあまり深く考える機会をもたず、文化的にあまり馴染みがないことが分かった。主催団体の代表である木下貴雄(王榮) 氏によると、中国系のコミュニティーでは、老後への備えやグループホームの設立、介護保険の活用、語学や異文化を理解できる介護福祉士やケアマネージャーの育成、墓地の確保などを終活計画の一部として行ってきたという。かなり衝撃的だったが、海外に移住した日本人も、同様に生活に関わる諸制度を整備し、市営墓地に日本人のための敷地を確保してきたことを思い出した。 しかし、今の日本でそのような準備が必要かというと、私はそうは思わない。日本ではほぼ全てのものが整備されており、ニーズに応じてサービスが提供されている。それらのサービスを利用するにはそれなりの蓄えが必要であるが、外国人であっても必要なものを手に入れることはできる(…

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ウルグアイ日系社会の111年の足跡 — 第2部 花卉栽培とブエノスアイレスとの繋がり、そして次世代の日系ウルグアイ人

第1部を読む >> ウルグアイの日系人が最も多く従事した業種は花卉栽培で、40年ぐらい前までは花卉事業で十分な利益を得ることが可能だったようである。私の生まれ育ったブエノスアイレス郊外のエスコバール市も「花の都」として知られており、戦前から花卉栽培が盛んであった。エスコバールは首都ブエノスから北50キロ離れたところにあり、早い時期から鉄道も敷かれており、土壌が花の栽培に適していた。1940年ごろ、首都ブエノスアイレス郊外には100軒以上の花卉栽培者が存在しており、当時の記録によると、合計所有地が48ヘクタールで、借地が325ヘクタールにも及んでおり、切磋琢磨かつ熾烈な競争だったようである。2019年には、エスコバールはこの街の移住者第1号で、花卉栽培をもちこんだ賀集九平氏1の到着90周年を祝った2。 賀集氏は戦前から多くの人を育て、その一人が16歳の若さで1929年にアルゼンチンに入国した山本久夫氏であった。山本氏は、九平さんの下でカーネションや菊の栽培を学び、1937年に旅行でウルグアイを訪れるが、そのまま庭師としてウルグアイにとどまった。その1年後25歳のとき5ヘクタールの土地を買って独立し、アルゼンチンからカーネションの苗を仕入れ、本格的に花卉栽培を始めた。戦後の最盛期には30棟近くの温室が並んだという。坪田静仁氏とも親交を深め、1977年から2年間ウルグアイ日本人会長…

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ウルグアイ日系社会の111年の足跡 — 第1部 日本人移住の特徴

南米にあるウルグアイ(正式名称:ウルグアイ東方共和国)は、面積は17万平方キロメートル(日本の約半分)ほどの小さな国で、人口は横浜市とほぼ同じ350万人である。この国が最近日本で話題になったのは、2016年にホセ・ムヒカ元大統領が来日したときであろう。この時ムヒカ元大統領は、東京外国語大学で講演をし1、テレビで「世界でいちばん貧しい大統領2」としてとても質素で気さくなところを紹介された。また最近では、赤身の「ウルグアイ産牛肉」が焼肉チェーン店や肉専門店に提供されていることでも注目を浴びている3。  しかしこの国にも、現在350人前後の小さな日系社会が存在していることはあまり知られていない。しかも日本人が最初にウルグアイへ移住したのはブラジルと同じ1908年で、すでに113年の歴史を持っていることになる。また、日本人移住110周年の2018年12月には、安倍総理が日本の内閣総理大臣として初めてウルグアイを公式訪問し、現地の日系人らと懇談の機会をもった4。 ブラジルとウルグアイへの日本人移民の歴史の始まった年が同じなのは、偶然であってもその背景には繋がりがある。20世紀の初頭、ウルグアイとアルゼンチンは東洋系の移民の受け入れにはかなり慎重で、法で禁止されていた5。1908年6月、隣国ブラジルのサントス港に約800人の日本人移住者(集団移住)を乗せた笠戸丸が到着し、ブラジ…

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香川県海外移民の父:今雪真一の情熱と功績

第3部:金子正則知事の南米訪問とその主な見解

元裁判官だった金子知事は、1950年から6期24年間も香川県知事を務めた。県の特産品である「讃岐うどん」を全国に広めた立役者の一人でもある。在任中の1956年、アメリカ国務省による指導者交換事業計画の招聘で、アメリカに3ヶ月間滞在し、その後2ヶ月南米4カ国(ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイ)を訪問し、同県民の移住事情などを視察した。 今雪氏との共著「南アメリカを旅して」の第2部には、知事の詳細な日記と訪問先の観察記録が綴られている。とてもタイトな日程で、今雪氏がその2年前に一年間で訪問した主な地をたった60日間で移動している。知事もこの同胞の海外移住は単に日本の人口増加に対する解決策として推進するのではなく、日本企業の海外進出をサポートできるような移住を促進すべきで、日系人の人脈をもっと活用すべきだと主張している。そうすることで、日系人たちの役割も重要視され、社会的地位向上にもつながるのではないかと期待していた。移民受け入れ国の開発や発展に寄与することが敗戦日本の進むべき道として、日本の若者にこのような大きな挑戦を呼びかけた。 知事という役職柄、地元政府高官や日本人会との会合が多く、移住者と夜遅くまで飲み会を行うことも多々あったようである。今雪氏の報告書を渡航前に読んでいたこともあり、知事の見解は、今雪氏と類似したものがある。その一部をここに紹介する。 戦…

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香川県海外移民の父:今雪真一の情熱と功績

第2部:「海外移住」の持論

今雪先生は、現場で目にし、聞いた課題を冷静に分析し、「海外移住」の持論と心構えを記しているので、その幾つかを紹介したい。 ブラジルやパラグアイ奥地の教育問題は深刻で、小学生の落第や中退者が多い。しかし、のんびりした半日学級制度や教員の副業容認は、日本の詰め込み暗記授業よりも良い。 戦前の大規模植民地の日本語学校は、日本の学校とぼぼ同じで厳しい教育と規律を維持していたので、日本語力はかなり高かった。卒業生の中には日本で高等教育を受けた者もいる。しかし、学校の閉鎖性と排他性はもっと改善しなくてはならない1。 日本語教育に力を入れすぎて。ポルトガル語が正確に身につかず、日本語なまりでごっちゃ混ぜになっており、大学をはじめとする上級学校への進学や就職に不利となる。幼少期になるべく、ブラジル人と交わり正確な発音を身につけ、家族全員で子供のポルトガル語学習に努めることをすすめる。 日系二世は、社会的に日系ブラジル人であって、本来のブラジル人の素質も持っている。はじめは多少不利だったかも知れないが、日本人は勤勉で、正直で、誠実で、勇敢でどんなところへも行き、適応能力があるので、アマゾンの奥地でも健全に暮すことができている。教養もそれなりにあり、進歩的なので、あらゆる分野に挑戦し、新産業を起こしたものもいる。ブラジル人やヨーロッパ人がやり得なかったことを実現し、ブラジル等にとっては実…

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