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ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~

第7回(後編) ハワイの日系人は個人主義的か

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日系人のメンタリティ

ハワイに通い始めて20年が過ぎ、その間何度か住んでみたりしていると、計らずも現地社会の儀式に参加することにもなる。英語での日常会話能力が十分でなかったころ(日常会話のほうが自分の専門分野の議論よりもずっと難しいと思う)は、それが億劫で仕方なかった。だが、自分の研究フィールドのより深い理解のためと考え、誘われれば断らずに出かけることにしていた。

儀式にもいろいろあるが、ここで取り上げるのは「ハレ」の儀式ではなく「ケ」のほうである。

Mさんと一緒にケータリング(スモークミートを揚げている)

Mさんはワイキキの有名ホテルの総料理長を経て小学校のカフェテリアのマネージャーを務めた人である。頻繁に食事のケータリングの依頼があり、実費だけで快くそれを引き受けていた。ハワイ州知事からも依頼があるほどで、その時手伝ったのが私のケータリングの最初の経験である。

ある時、Mさんはハワイ系の友人から、身内の葬儀の際のケータリングの依頼を受けた。私はハワイに長期滞在していたので、MさんLさんの手伝いとして早朝から加わることになった。10時頃にホノルルのヌウアヌ通りにある葬儀場の廊下に料理を搬入して準備を整え、私は式の様子を外から見ていた。次から次へと車が到着して、大柄なハワイ系の人たちが続々と式場に入ってくる。亡くなったのはごく普通のお婆さんである。身内だけでなく縁のある人たちが大勢やってきて、それは賑やかな葬儀になった。

葬儀がつつがなく終了するとランチタイムである。もちろん我々のサービスする料理には長蛇の列ができ、Mさんのビーフシチューに二度三度お代わりに並び直す人もいて、「店のメニューは持ってきてないのか?」「店はどこだ?」と真顔で尋ねる人までいた。

ケータリング業者と間違われたMさんLさんと私

このハワイ系の葬儀は、遠い遠い親戚までわざわざ来ている風であった。

3年ほど前には、早朝のホノルルに到着した直後にフィリピン系の葬儀に行くことになった。有名なボクサーの葬儀だったからか、カリヒにあるカトリック教会で大々的に行われていた。Mさんに何時から何時までが葬儀なのか尋ねてみたところ、「ずっとやってるから食事を済ませてから行こう」というのである。朝食を食べてから行ってみると、教会の外にまで人があふれている。大きな教会の中にはそれでも空席があり、3人で座ってスピーチを聞いたり、時折賛美歌を歌ったりした。午前中に始まり、午後2時頃まで葬儀は続いたのである。

こうした大規模に執り行われるハワイ系やフィリピン系の葬儀に対して、日系のそれは可愛いものである。そして極めて手続き的に正式で、かつ雰囲気は儀式的である。

フィリピン系のカトリック式の葬儀は半日かかる

C先生の父親で、A先生の叔父にあたる日系人の葬儀に参列したことがあった。MさんLさんの親友の義父の葬儀にも出かけていった。いずれも仏式で、ワヒアワの霊園内やホノルルのダウンタウンの葬儀所でしめやかに執り行われた。最後に精進落としも出て、少しだけおなかを満たして帰る。このあたりは日本の葬儀と全く同じである。

Lさんのご先祖様の納骨式にも招かれて行ったことがある。ワヒアワのお寺の納骨堂にまず集まって、長く預けてあった骨壷を受け取る。集まったのは3軒の親族以外では私だけである。日本から移住されて既に長い住職に挨拶をする時、私は名乗った後に ”I’m a buddhist.” と笑顔で付け加えたところ、住職もニコッと ”I’m a buddhist, too!” と返してきて、あたりは爆笑の渦に包まれた。そのように実に家庭的な雰囲気の中、ホノルルのパンチボウルの霊園に移動して納骨となった。車3台での移動で済んだが、寂しさなどはこれっぽっちもなく、実に温かなひとときであった。

このように、大家族的なハワイ系やフィリピン系の葬儀と、日系のそれとは規模や時間、雰囲気において大きく異なっていることがわかる。


ハワイ系の大家族主義

上で「葬儀」を取り上げたので、終わりに今度は「ハレ」、めでたいほうの事例を取り上げておこう。

8年前の夏から秋にかけて長期に滞在した時、ハワイ系の人の還暦祝いのキャンプを訪ねることになった。MさんLさんに還暦祝いの「キャンプ」って?と聞いても、キャンプはキャンプだよとしか答えてくれない。還暦とキャンプがどうしても結びつかない。昼ごはんを食べに行くのだという。そして車2台で連れ立ってライエにあるビーチバークに出かけて行った。

ハワイ系の還暦祝賀キャンプ

そこには小学校の教室ほどもあるテントが5、6張も設置してあり、100人ほどの老若男女が集まっているのであった。ウクレレを弾く者あり、フラを踊る者あり、バーベキューで肉を焼く者あり、ビーチで泳ぐ者あり、飲み食いする者あり。

山のように用意された料理を我々もいただいて、Mさんとその友人たちとのウクレレのジャム・セッションに耳を傾けながら、夕方までの時を過ごすことができた。

驚いたことに、何とこのキャンプは一週間も続けられるということである。そして人数もそう変化がないのだそうだ。ハワイ系の還暦パーティがどれもこのようであるのかは知らないが、親戚全員が集まり、遠い親戚も含めてあらゆる年代の男女が一箇所に集まり、それも屋外でのキャンプを続けるのだ。

これを大家族主義と言わずして何と表現すればいいだろう。

ハワイ系の還暦祝賀キャンプ


まとめと仮説

ここからは「まとめ」代わりの仮説である。確かめる途中の予想でもある。

Mさんは、次の世代の日系四世の男性たちが穏やかで大人しいことについて、「ものをはっきり言わないので、何を考えているのか分からず推測するしかなくて疲れるんだ」と、ことあるごとに言っている。三世と四世の間には、かなりはっきりした溝のようなものがありそうだ。ハワイ日系人の「個人主義化」の要因の一つとみることができるかもしれない。ではなぜそうなるのか。推測の域を出ないが、日本的なものとアメリカ的なものとが日系社会に共存していて、とりわけ若い世代(たとえば四世)のほうに日本的なものが強くなっていて、そのことが世代のずれを生み、日系人は「個人主義化」しているのではないだろうか。文化的な「世代の逆行」をそこに見ることには無理があるだろうか。

別の見方をしてみよう。日系人の「個人主義化」は、ある意味アイデンティティのハイブリッド化の一段階ではないのか。民族性を強く意識するよりも、別のアイデンティティに重きを置いているように感じられることが時折ある。「第5回 失われつつあるのかもしれない日本的価値観―変わりゆくハワイの文化―」において、ハワイを「シチュー」に例えた話を紹介した。具もスープも自分自身ではあるが、アイデンティティの拠り所が、具(民族性)よりもスープ(ハワイ的なもの)のほうに移りつつあるのではないか。民族、日系人という風に意識するのではなく、「ハワイ人」というカテゴリに自らを位置づけたうえで、もっと細かなことにアイデンティティの拠り所を持っているのではないだろうか。上に述べたが、こうなると人間の集団は細分化される。

日系人は小さな家族単位で日常生活をする形をとっているが、親戚間のつながりは必ずしも薄いわけではなく、わりと頻繁に集まっている。他民族に較べて規模が小さいだけである。このことは「第4回 ガレージパーティ」に詳しく書いた。両親や祖父母の誰かが沖縄系だと、集まる頻度はいっそう増える。こうした場にこれからもできるだけ参加して、上に述べた仮説を丁寧に確認していきたいと思う。

今回は仮説を生成したところで稿を閉じることにしたい。

 

© 2016 Seiji Kawasaki

diversity hawaii individualist nikkei

このシリーズについて

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。