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ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~

第11回 ハワイ日系人が人間関係で大切にしていること

ハワイ大学のマノアキャンパスの北側に、Mid-Pacific Instituteという私立の中高一貫校がある。ホノルルではPunahou(プナホウ)やIolani(イオラニ)と並ぶエリート校である。MPIと略されるので、M(id-Pacific Institute)はP(unahou)やI(olani)を従えて先頭だ、と笑い話をしてくれる卒業生がいた。

寄宿舎も完備していて、ハワイの島々からも入学してくる。日系人の在籍・卒業生も多い。英語の語学研修のプログラムもあって、学生だけでなく成人の研修生集団も受け入れられている。

Lさんとその兄・弟もここの卒業生である。

元総料理⻑のMさん

そのMPIに日本から成人の語学研修生たちが20名ほど来ることになって、ランチのサービスをMさんLさんが請け負うことになった。以前にも書いたが、Mさんはワイキキの有名ホテルの総料理長を務めた後、小学校のカフェテリア・マネージャーに転じた。Lさんは小学校教員から、同じく小学校のカフェテリア・マネージャーとなった。引退後のMさんLさんには、時折こういう頼みごとが来る。私も葬式や市役所の食事のサービスの手伝い(機材の準備とライスの盛り付けだけだが)をしたが、皆が満足して見せる笑顔を見て、それまでの生活では味わったことのない喜びを感じることができた。

ランチのサービスをすることになった時、私はMさんLさんの自宅に泊めてもらっていた。「明日は3時起きだぞ」と言われて何事かと思って寝た。4時に山のような荷物をトラックの荷台に積み込んで、ホノルルに向けてカネオヘを出た。

4時半にハワイ大学の南東側の住宅地にある日系人のFさん宅に着いた。FさんもMPIの卒業生でLさんのクラスメートである。敷地内の離れにはハワイ大学の日本人留学生もよく下宿している。どことなく日本の土間を思わせる屋根付きの中庭があり、昼には語学研修の日本人たちが集まってくることになっている。

語学研修中のランチタイム

バーナーや巨大なフライパン、おびただしい数の調理道具に食事用の什器、山のような食材を運び込んだ。それが終わると我々3人は、ワイキキの端のカイマナビーチにあるホテル・ニューオータニに行って、ハワイアンの巨匠エディ・カマエ、マーナ・カマエ夫妻と朝食をとった。私はレストラン「ハウ・ツリー・ラナイ」の名物のエッグ・ベネディクトを注文して皆に笑われた。この頃の私は、まだ日本人旅行者と同じようなことをしていたのである。

パーティのランチの定番メニュー

カマエ夫妻と8時過ぎに別れてFさん宅に戻った。中庭の端の青空の下にバーナーを設置して、11時頃からステーキをどんどん焼いた。一番おいしいステーキの焼き方、レアとミディアムの違い、肉汁の落とし方、焼け具合の確認のしかた、塩胡椒のまぶしかた、カットのしかた、といった元総料理長の技を見ることができた。日本人たちは年齢に関係なくステーキを頬張り、その美味しさにキャーキャーと歓声を上げ続けていた。そりゃそうだろう。元総料理長の焼いた肉なのである。裏返す作業をしたのは私だが。

この間、私はMさんのサポートをし、日本からの語学研修生たちと話したり食べたりする暇はまったくなかった。帰り際には丁重に礼を言われ、かえってこちらが恐縮するほどだった。MさんLさんと一緒に、私はニコニコしながら手を振って別れたのだった。

私の役割は⼤抵ご飯のサービス

バーベキューの翌日は敬老の日である。

私はMさんLさん、Fさんらと、バーベキューのお礼にと招かれたアラモアナ・ホテルにいた。イベントルームでは、日系人を対象にした敬老の日のシニア向けの数々の出し物があるのである。ランチをいただきながらそれを皆で楽しんだ。日本からの語学研修生たちも寸劇をやる。それは飛び入りで、語学研修の一環なのである。

研修生たちは日本を発つ前から練習をしていて、衣装にも凝っていた。題目は「水戸黄門」で、主題歌を合唱した後、例の「この紋所が目に入らぬか!・・・」「ハハッ〜・・・」となったところで、会場は万雷の拍手となるはずだった。研修生たちもそう考えていたと思う。だが私は頭を抱えて思い切り目をつぶった。

会場全体は静かで温かな、気遣いにあふれた雰囲気に包まれた。研修生たちの目論見は完全に外れてしまったのだ。

ハワイの日本語テレビ局のKIKUは、日本のTBSから多くの番組を買って放送しているにもかかわらず、水戸黄門だけは放送してこなかった。そのため、あんなに日本では高視聴率を誇る番組が、ハワイでは全く知られていないのである(当時)。

私はいたたまれなくなって、助さん格さん、そして黄門様役の女性3人組に声をかけた。「とってもお上手でしたよ!でも水戸黄門はこちらでは放映されていないので、誰も知らないんですよ。だから何も心配しなくて大丈夫ですよ」と。

すると3人の顔がみるみるうちに驚きの表情に変わっていった。「うわー!日本語お上手ですねえ〜!訛りが何にもなくって綺麗な日本語!どこで習ったんですかぁ〜?」と誉めてくれる。よくある日本人の反応である。そこで私はすぐに気がついた。前日のバーベキューではMさんのサポートに徹したので、研修生たちとは交流しなかった。だから私のことをハワイの日系人だと勘違いしているのだ。

「昨日はお父さんとお母さんと、美味しいステーキを焼いてくださって本当にありがとう!」MさんLさんを私の両親だと間違えている。

私はこうした時、ふざけてしまうことがある。

私:「日本には一度も行ったことがなくって〜、やっぱり電車にはみんな駆け込んでいるんですよねえ?満員電車に駆け込んだら危なくないんですか?ハワイには電車がないからよく知らなくって・・・」

日本に対する誤解を聞くと日本人は急に親切になる。「ねえねえ!一度日本にいらっしゃいよ!東京や京都を案内してあげるから。電車なんかスパゲティのようにいっぱい走っていて、地下鉄もたくさんあるのよ。」

私:「もう日本では切符を買わないんでしょう?手を置いたら改札を通れるんでしょう?」と更にふざけてみた。「あぁそれは〜、SuicaとかPasmoでしょ!先にお金を出して払っておくのよ。500円でカードを買って、いくらかお金を足しておくの。今度本当にいらっしゃいよ!」

私:「でもな〜、納豆が大嫌いだから・・・」日本独特の食べ物の話になると、日本人はどんどん饒舌になっていく。「臭いのない納豆もたくさんあるのよ。水戸に行って本場の納豆を食べれば好きになるわよ!」と話が続いて行きそうになったところで、私は我慢できなくなった。

「実は・・・日本人なんです。」すると彼女たちはハッと我に返ったようになった。「東京学芸大学というところで教えていて、ハワイには研究のために年に何回か来ているんです。」

そこまで話すと、彼女たちは「学芸大学の教授!?」と叫んで、直立不動になってしまった。そして頭を下げた。それを見ていたMさんLさん、そしてFさんらは大爆笑となった。日本人が直立不動になったのを見て爆笑する日系人の感覚は知っている。でも私はそうした直立不動は大嫌いなのである。大学教授が別に偉いわけではない。

ステレオタイプを恐れずに言えば、日本人は自らの人間関係において、相手の年齢や職業(what)がはっきりしないと落ち着かない。心の距離感や口のきき方を決める重要な要素でもあるからである。

「移民は文化の運び手」とよくいわれる。ハワイの日系人は6世が生まれつつある現代にあっても、程度の差こそあれ、日本の文化を丁寧に保っている。しかし相手の職業が何であるかについては、友人関係においてほとんど重要ではない。親しい仲間が何をやっている人間か知らないこともよくある。身分(what)よりも、どのような人間であるか(who)を重んじて付き合っているのである。

身分による分け隔てがない。MさんLさんはその典型だ。それが初対面の人間にとっては楽であるし、私のように日本から来て長期にわたって深く付き合っていこうとする時にも、そのことが後押ししてくれる。ただ”who”についての評価が厳しいことは言うまでもない。

楽器を離さないMさん

実際、Mさんの人物評価には定評がある。Lさんもよくそう言っている。そのため友人や教え子たちを初めて連れて行くときにも、私は人間を選んでいる。好き嫌いが基準ではない。日本語を少ししか理解しないMさんに、自ら英語で話そうとするかどうかである。英語ができない場合は、私やLさんに通訳を頼んででもMさんに語りかけようとするかである。それが大丈夫なら、ガレージパーティなど我々の仲間が集まる場でも自分で楽しく過ごすことができる。

最近同じようなことをMさんも言っていた。「俺がパーティに呼ぶのは、その場で周りを楽しませる人間だけだ。別に弾いたり歌ったりしなくていい。周りと楽しく過ごすことができるかだ。俺の料理を食べながらな。一人でポツンと食べているのを見るのが一番辛いんだ」と。

ハワイの日系人は、人間関係においてはアメリカンなのである。

 

© 2018 Seiji Kawasaki

hawaii Japan nikkei

このシリーズについて

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。