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ブラジル水泳界の英雄・岡本哲夫:日伯交流から生まれた奇跡

第3回 影の功労者、パジーリャ局長

深沢 正雪

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ブラジル水泳界の英雄・岡本哲夫:日伯交流から生まれた奇跡

第2回 日本移民受難の時代に曙光

深沢 正雪

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ブラジル水泳界の英雄・岡本哲夫:日伯交流から生まれた奇跡

第1回 ヘルシンキ五輪・競泳で初メダル

深沢 正雪

二世・岡本哲夫(1932年生まれ~2007年没)は、ブラジル水泳界および日系社会共に初の五輪メダルをもたらした。彼が表彰台の3位に登ったのは、1952年8月3日。ヘルシンキ五輪(フィンランド)の1500メートル自由形競泳だ。しかも、その時の表彰台には日本人の血を引く三人が占めた。当時、邦字紙では五輪における日本勢の健闘が記事の中心だった。ところが、勝ち負け抗争の余韻が強く残っていて日本移民への悪印象が強かったにも関わらず、ブラジルの新聞は「ジャポネース」の健闘を大々的に報じ、心から祝福した。

青年海外協力隊員から陶彫作家、モジお茶屋敷へ — その2

深沢 正雪

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青年海外協力隊員から陶彫作家、モジお茶屋敷へ — その1

深沢 正雪


有名日系経営者と日本語で許しを乞う乞食の格差

深沢 正雪

「セグランサ(治安)の問題があるから、名前と写真は出さないでくれ」――8月28日夜、聖市のジャパン・ハウス内のレストラン藍染で行われた、TOTOの便座およびウォシュレット製品の発売開始式で、それを専売するFAST SHOP創業者である日系人に初めて会い、話をしていてそう釘を刺された。

表現の自由のために、軍政と闘った日系漫画ゲリラたち

深沢 正雪

戦車と機関銃で言論を統制したブラジル軍事政権(1964―85年)に対し、表現の自由のためにMangaという武器をとって戦った日系の若者たちがいた。

ブラジルを「故郷」にするなら桜を植えよう — 郷愁とブラジル日本移民 - その2

深沢 正雪

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ブラジルを「故郷」にするなら桜を植えよう — 郷愁とブラジル日本移民 - その1

深沢 正雪

「静岡の茶畑そっくりだ」―サンパウロ市から南西に190キロほど下った海岸部レジストロの茶畑に取材に行き、故郷の光景を思い出した。

特別座談会: 四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=

最終回 ワーキングホリデービザの可能性

深沢 正雪

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サイト情報

1965年11月、静岡県沼津市生まれ。92年にブラジル初渡航し、邦字紙パウリスタ新聞で研修記者。95年にいったん帰国し、群馬県大泉町でブラジル人と共に工場労働をした体験をまとめたものが99年の潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレル・ワールド』(潮出版)として出版。99年から再渡伯。01年からニッケイ新聞に勤務、04年から編集長。著書は『一粒の米もし死なずば』(無明舎、2014年)、『勝ち組異聞』(無明舎、2017年)など。

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