私たちの物語の力
このシリーズでは、ブログ、ウェブサイト、ソーシャルメディア、ポッドキャスト、アート、映像、同人誌(ZINE)、音楽、商品といった、さまざまな媒体を通してニッケイのストーリーを記録し、共有しているプロジェクトを紹介します。こうした取り組みに焦点を当てることで、私たちはニッケイの体験談を記録し、共有することの大切さを分かち合い、皆さんが独自の取り組みを始めるきっかけとなればと願っています。
本シリーズにご自身のプロジェクトの紹介を希望される方、今後インタビューを実施する際にボランティアとして参加を希望される方は、Editor@DiscoverNikkei.orgまでご連絡ください。
ロゴデザイン:アリソン・スキルブレッド
このシリーズのストーリー
延世大学記憶プロジェクト:世代を超えた癒しを通して物語を生き続ける
2020年2月6日 • イアン・ハンター
全国の多くの日系アメリカ人コミュニティにとって、2 月 19 日は追悼の日です。77 年前の 1942 年のその日、フランクリン デラノ ルーズベルト大統領は大統領令 9066 号に署名し、米国西海岸を軍事活動地域に指定し、それらの排除地域内で陸軍長官に広範な権限を与えました。真珠湾攻撃後に広がった反日排外主義への反応として発せられた大統領令9066号は、カリフォルニア州マンザナーからアーカンソー州ジェロームまで、全国の強制収容所に、これらの地域に居住する日本人と日系アメリ…
ウチナーンチュを繋ぐメディア「One Okinawa」の長濱良起さん
2020年1月6日 • 福田 恵子
コロニアオキナワ 「世界のウチナーンチュを繋ぐメディア」として、2019年10月30日(注:10月30日は「世界ウチナーンチュの日)に開設されたのがウェブマガジン「One Okinawa」。同媒体にはハワイのウチナーンチュのインタビューや首里城焼失のレポートが掲載されている。発起人の長濱良起さんは琉球新報に勤めていた元新聞記者で沖縄県在住。 「この媒体を立ち上げようという構想は頭の片隅には数年前からあったんですが、今年(2019年)の4月末くらいに関空からハワイまで1万…
バンクーバーの 1907 年反アジア人暴動を振り返る - パート 2
2019年12月31日 • ノーム・マサジ・イブキ
パート 1 を読む >>よく知らない人のために、1907 年の暴動に至るまでの出来事を要約していただけますか? 何が起こり、その後どうなりましたか? その後、アジア人にとって状況は悪化しませんでしたか? 人種差別主義者はどうでしたか? 1907 年の反アジア暴動の360 度ビデオ ウォーキング ツアーでは、バンクーバーのアジア人排斥連盟が主催したデモとパレードに続いて、中国系カナダ人と日系カナダ人のコミュニティを攻撃した暴徒の歴史とルートをたどります。 190…
バンクーバーの 1907 年反アジア人暴動を振り返る - パート 1
2019年12月30日 • ノーム・マサジ・イブキ
「暴徒たちが日本と中国の窓を狙い、隣の白人の窓は壊さなかった決意ほど組織的なものはない。たとえばコロンビア通りでは、中国風の窓はすべて割られたが、白人の不動産ブローカー2人の窓は無傷のままだった。」 — 1907年のパウエルストリート暴動について報じたバンクーバー・デイリー・ワールド紙8月に初めてパウエル・ストリート・フェスティバルを訪れる前に、私は月報に掲載されたプログラムの中に興味をそそられるイベントがいくつかあることに気づきました。その中には、次のように宣伝されていた…
50 の物、50 の物語: 第二次世界大戦中に強制収容された日系アメリカ人の語られざる物語
2019年8月30日 • ケイト・イイオ
「日系アメリカ人強制収容所の50の品々/50の物語」は、第二次世界大戦中に12万人もの日系アメリカ人が強制収容所から追放され、監禁された実態をありのままに伝える50の品々から構成されるプロジェクトです。家族、博物館、教育機関が所有する品々を調査、検討、編集し、強制収容所での個々の体験を総合的に表現しています。長年語られることのなかった物語が、記事、動画、音声など、さまざまなメディアで紹介されています。 私は、プロジェクト ディレクターのナンシー ウカイさんにインタビューし、…