絆2020:ニッケイの思いやりと連帯―新型コロナウイルスの世界的大流行を受けて
人と人との深い心の結びつき、それが「絆」です。
2011年、私たちはニッケイ・コミュニティがどのように東日本大震災に反応し、日本を支援したかというテーマで特別シリーズを設け、世界中のニッケイ・コミュニティに協力を呼びかけました。今回ディスカバーニッケイでは、ニッケイの家族やコミュニティが新型コロナウイルスによる世界的危機からどのような打撃を受け、この状況に対応しているか、みなさんの体験談を募集し、ここに紹介します。
投稿希望の方は、こちらのガイドラインをご覧ください。英語、日本語、スペイン語、ポルトガル語で投稿を受け付けており、世界中から多様なエピソードをお待ちしています。みなさんのストーリーから連帯が生まれ、この危機的状況への反応や視点の詰まった、世界中のニマ会から未来に向けたタイムカプセルが生まれることを願っています。
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新型コロナウイルスの世界的大流行に伴い、世界中で多くのイベントが中止となりましたが、新たにたくさんのオンラインイベントが立ち上げられています。オンラインで開催されるイベントには、世界中から誰でも参加することができます。みなさんが所属しているニッケイ団体でバーチャルイベントを開催する予定があるという方は、当サイトのイベントセクションに情報の投稿をお願いいたします。投稿いただいたイベントは、ツイッター(@discovernikkei)で共有します。今自宅で孤立している方も多くいらっしゃると思いますが、オンラインイベントを通して新しい形で互いにつながれることを願っています。
このシリーズのストーリー
離れたい、生きたい…愛子の嘆き
2020年11月23日 • カツオ・ヒグチ
世界を襲っているこの恐ろしいパンデミックが到来する前、サンパウロの首都サンタナの伝統的な地区に住む退職主婦のアイコさんは、同年代の女性としては非常に活気のある日課を過ごしていた。近所のブラジル人からは「ドナ・マリア」「アイティアン」、親戚からは「アイコさん」として知られている彼女は、住んでいる場所の近くの通りをいつも散歩することに加えて、太極拳や頭の体操のクラスにも通っていて、先生によれば、集中力、推論力、記憶力を向上させることが目的でした。この集会は高齢者を対象とし、この…
ケアは無料:日系人姉妹2人とケアパッケージ35個の舞台裏
2020年11月6日 • タミコ・ニムラ
2020年10月、タミコさんとテルコ・ニムラさんは、タコマ芸術月間(タコマの芸術とアーティストを祝う月間)のために、コミュニティ参加型のパブリックアートプロジェクトを制作するよう依頼されました。2人は日系アメリカ人の伝統を生かして、タミコさんの故郷であるタコマ中に配布するケアパッケージを一式作りました。各ケアパッケージには、パッケージの目的と内容を説明した手紙が同封されていました。以下はその手紙です。 * * * * * 2020年9月25日親愛なる隣人へ9 月下旬にしては…
コロナ禍における日系カナダ人アート - パート4
2020年10月28日 • ノーム・マサジ・イブキ
パート3を読む>>さて、2020年の秋を迎え、カナダでは新型コロナウイルスの第二波が到来しています。避けられない事態が到来したのです。ブリティッシュコロンビア州ネルソンから、ダイアナがやって来ました。ダイアナとは、昨年の夏、クートニーへの短い旅行で出会ったのですが、今ではもうずいぶん昔のことのように思えます。私は彼女のアメリカ日系人らしさのエッジの効いたところが好きです。彼女の「サイドウェイズ」という回想録は、ミニドカ強制収容所で生まれた人間として成長するとはど…
感染病の流行と日系カナダ人コミュニティ
2020年10月23日 • 田中 裕介
1918年に猛威を振るったいわゆるスペイン風邪のパンデミックは、2年にわたり断続的に続いた。世界中で5億人が感染し、5千万人の命を奪ったといわれている。感染爆発の最初の犠牲者は第一次世界大戦時に戦場で闘った兵士たちだった。兵隊たちが戦場から郷里に復員してきた時にウィルスが拡散し、世界中で大流行したのである。カナダも例外ではなく5万人が亡くなった。 一方、日系人に対する差別は第一次世界大戦中(1914〜1918)は多少緩和されていたようだ。これは多分に、日英同盟の条約に従っ…
抵抗する日系料理 - パート 2
2020年10月21日 • ハビエル・ガルシア・ウォング=キット
最初の部分を読む >>現時点でペルーから届いたニュースはあまり幸先の良いものではない。7か月目の隔離期間に入るまでに3万2千人以上が死亡し(集中隔離が適用されてから3か月目)、失業率が増加した(4月から6月の間、彼らは仕事を失ったままだった)。そして感染の第二波についての憶測もまだある。このシナリオでは、多くのペルー人がパンデミックにもかかわらず働き続けなければならず、パンデミックは良いニュースと悪いニュースをもたらした。 7月20日から始まったレストランの…
ペルー沖縄県協会、110年の歴史
2020年10月16日 • エンリケ・ヒガ・サクダ
1906年、沖縄からの移民が初めてペルーに到着した。 4 年後、彼らは現在のペルー沖縄協会 (AOP) を設立しました。 新型コロナウイルスのパンデミックにより、110周年を本来あるべき形で祝うことの可能性が台無しになった。しかし、それは、理事や会員が行動を起こす前に、健康危機が解決または軽減されるのをただ座して待っていたという意味ではありません。 AOPは、ウイルスの蔓延を阻止するためにペルー政府が課した検疫に由来する制限によって活動が麻痺することはなかった。それどころか…