ジャーナルの検索
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
第27回 日本から世界へ
よく 牛にひかれて善光寺詣り というが、私はこのたび善光寺詣りならぬ世界秘境「ネパール」詣りができた。それも「牛」ならぬ「地球市民」のお蔭であった。
カナダのオッタワ、北欧のブラッセル、そのほ…
川井 龍介 • 2021年12月24日
en
ja
es
pt
第26回 地球市民となる
1900年生まれの加藤に直接会っている人は、日本で私が取材した範囲では加藤の甥にあたる吉田さんと加藤の実家近くに住む二人だけで、アメリカではロサンゼルスの広島県人会にひとりいるだけだった。
加藤が…
川井 龍介 • 2021年12月10日
en
ja
es
pt
en
ja
es
pt
第24回 「広島北米クラブ」に尽力
最期は日本で迎えたい
二度目のアメリカ滞在で、新日米新聞社の主幹として1961年に「米國日系人百年史」をまとめた加藤新一は、まもなく新日米新聞社を離れ、1970年日本に帰国する。ふりかえれば、1…
川井 龍介 • 2021年11月12日
en
ja
es
pt
第23回 再びアメリカへ
1952年11月に広島で開かれた世界連邦アジア会議の事務局長を務め、日本国連協会広島県本部事務局長の職にあった加藤新一は、日本での平和運動の職を捨て、1953年4月再びアメリカに渡った。
1961…
川井 龍介 • 2021年10月22日
en
ja
es
pt
第21回 力量を発揮するも退社へ
広島に原爆が投下されてからほぼ8ヵ月後の1946年4月、米軍が撮影した広島市内の映像のなかに加藤新一が登場することに前回触れたが、撮影について当時の中国新聞が報じていた。
同年4月16日付の紙…
川井 龍介 • 2021年9月24日
en
ja
es
pt